日々起案

田舎で働く弁護士が、考えたことや気になったことを書いています。

司法試験の勉強:国際私法の基礎1/3(総論・一般法理)

基本用語

準拠法
ある法律関係において適用すべきとされる法域の法
法域
ある私法体系が通用している一定の地域
抵触法(国際私法)
準拠法を指定するための法
実質法
ある法域において具体的な法律関係に適用されている法
単位法律関係
国際私法上1つの単位として取り扱われる法律関係
連結点
国籍など、準拠法を指定するために用いられる要素

法律関係の性質決定

定義

具体的に問題とされている法律関係がどの単位法律関係の性質を有するのか
=抵触規則の単位法律概念(指定概念)が何を指すのか

法性決定の方法

法廷地法説
  • 法廷地の実質法によって決定
  • 批判
    • 実質法(実際に適用して紛争を解決する法)と抵触法(どの実質法を適用するかを定める法=国際私法)では目的・機能が異なり用語も別異に解釈すべき
    • 国内法に存在しない法制度の性質決定ができない
準拠法説
  • 国際私法により準拠法として指定された実質法によって決定
  • 批判
    • 循環論になってしまう(準拠法を決めるための法性決定で準拠法に依拠)
国際私法自体説
  • 国際私法自体の解釈によって決定

解釈基準

比較法説
  • 実質法を比べ共通概念を抽出
  • 批判
    • 比較法学の能力的に無理がある
    • 実質法に依拠する点で実質法からの解放という観点が不徹底
抵触規則目的説
  • 規定の趣旨・目的を基準とする
一般的な法解釈方法による
  • 国内法として解釈(文理解釈→目的・趣旨→比較法)

適応問題

定義

ある法律関係を単位法律関係に分けて準拠法を決定した時に、各準拠法間で生じる内容的矛盾

  • 重複:例)夫の親の居所指定権
  • 欠缺:例)死亡した夫の遺産→夫婦財産とする準拠法と相続とする準拠法の間で穴ができる
  • 質的矛盾:例)信託法と信託権のない準拠法

解決方法

  • 放置
  • 一方の排除:例)婚姻後は婚姻の効力優先
  • 一方の拡張:例)相続として考え、夫婦財産として定められていても適用
  • 第三の法秩序による置換

先決問題

定義

ある単位法律関係の問題(本問題)に論理的に先立って解決すべき単位法律関係の問題

解決方法

  1. 本問題の準拠法説:本問題の準拠実質法で先決問題の権利関係を確定する
    • 渉外的法律関係である以上、実質法では解決できない
  2. 準拠法説:準拠法所属国の国際私法によって先決問題の準拠法を決定する
    • 同じ先決問題に対して、本問題次第で準拠法が異なってしまう
  3. 法廷地説:法廷地の国際私法によって先決問題の準拠法を決定する

連結点

連結政策

単純連結
一つの連結点で一つの準拠法を指定(例:36条)
累積的連結
複数の連結点が定められ、指定準拠法を重畳的に適用(例:22条1項2項)
段階的連結
連結点の第1がなければ第2,第3...と段階的に指定(例:25条)
選択的連結
複数の連結点から一定の法律関係が成立しやすいように選択的に指定(例:28条1項)
配分的連結
当事者ごとに連結点を定め各自に準拠法を指定(例:24条1項)

変更主義と不変更主義

いつの時点の連結点を用いるか
帰化・移住により準拠法を選択させることを防ぐ

法律回避

連結点を意図的に変更して有利な準拠法の適用に持ち込む

  • 無効説(旧法例、仏)
    • 故意の潜脱は許されない
    • 最密接関連地法によるという目的が達成できない
  • 有効説(通説、独、英米
    • 内国法拡張の抑制
    • 連結点の客観的確定
    • 通則法:旧法例から削除されている

本国法

本国=国籍国
→各国の国籍法に従って定まる
→必然的に重国籍・無国籍が生じうる

重国籍(38条1項)
  1. 日本国籍があれば日本法(但書)←内国国籍優先主義
  2. 国籍国の中で常居所を有する国の法
  3. それ以外なら国籍国の中での最密接関係国の法

(本国法主義の趣旨から、国籍を有しない国からは選べない)

無国籍(38条2項)

25条、26条1項、27条、32条には適用しない(∵段階的連結の趣旨)

  1. 常居所地法
  2. 常居所が不明・不存在なら居所地法(39条)
共通本国法との違い

共通本国法:国籍国のいずれかが一致しているか判断
同一本国法:38条で一つに絞り込んだ上で同一かどうか判断

難民

本国との関係が事実上切断され、又は切断したい場合が多い
→難民条約では「住所」を使用
日本では「常居所」とし、反致を否定する説も有力

常居所

ハーグ国際私法会議で創出された人工的概念
国際的な概念の差異が生じない事実概念の導入が目的

  • 単一性
    • 複数の常居所はありえないという前提
    • 不明の場合:居所地で補充(39条)
  • 住所との関係
    • 領土法説→重住所・無住所の発生を予定
    • 裁判管轄の基準として訴訟便宜も判断要素に含む

不統一法国

地域的不統一法国

  • 連結点が場所的に一点を示す→その地の法(直接指定主義)
  • 連結点が国籍→通則法38条3項
通則法38条3項
  1. 「その国の規則に従い指定される法」:間接指定主義
  2. 「当事者に最も密接な関係がある地域の法」:直接指定主義
通説

間接指定主義
「規則」=その国の準国際私法

批判
  • 自国が本国法とされた場合を想定していない
  • 外国を指定した場合の処理(←「規則」がない場合とする)

→「規則」=「外国の国際私法で本国法として指定されたときの地域指定ルール」
→実際上ありえず、38条3項前段は空文

判例

百選7:アメリカは「内国規則なし」

人的不統一法国

通説

地域的不統一法国と同じ処理→通則法40条1項
場所的に一点を示す場合でも決まらない→通則法40条2項

批判
  • 人的不統一はただの国内人際法→本国法指定で終了していい
  • 「規則がない場合」=外国法不明の場合と解する

反致

通説上は理論的・政策的根拠がないとして否認されている。
最密接関係地法の決定・適用という理念に反する誤った国際主義とされる。

定義

準拠法の消極的抵触を解決するという建前

狭義の反致

通則法41条
自国の国際私法によって指定された準拠法所属国の国際私法が、自国法を準拠法としているときには、それに従って自国法を準拠法とする

転致

準拠法国の国際私法が第3国を指定(A→B→C)
「日本法によるべきとき」にあたらず許されない(手形・小切手法は認める)

間接反致

第3国を挟んで自国が指定される(A→B→C→A)
「その国の法に従えば」にあたらず許されない

二重反致

準拠法所属国の国際私法も反致を認めている場合には、その国の法を準拠法とする
反致の過度の拡大になるから許されない

隠れた反致

裁判管轄権の指定ルールしかなく、これが適用法指定も兼ねているときは、裁判管轄権の指定により反致を認める

理論的根拠

総括指定説
連結点による指定は国際私法の指定も含む
→常に再指定、無限に循環
棄権説
自国法を適用しないという国家意思の尊重
→国際的私法秩序の安定という国際私法の目的と無関係

実際的根拠

内国法適用拡大説
自国法の適用拡大を積極評価
→内外法平等の建前に反する
国際的判決調和説
一方の指定に従えば国際的判決調和が得られる
→両方反致を認めたら入れ替わるだけで判決調和は得られない
判決承認の拡大説
自国の判決が外国で承認されるようになる
→判決の承認は準拠法所属国でだけ問題になるわけではない
→外国判決の承認にいかなる法が準拠法となったかは一般的に要件とされていない

規定と判例

「本国法によるべき場合」

25,26,27,32条を除く(∵段階的連結は本国法VS住所地法の枠に入らない)

「その国の法」

「その国の法」=その国の国際私法
「日本法」=日本の実質法

二重反致の根拠

外国裁判所追従説:指定された外国法は、その国の裁判所がするように適用されるべき
→総括指定説と同様
「その国の法」に反致規定も含むので「日本法によるべきとき」にあたらない
→二重反致規定があると無限循環となるし、転致も認めなければならなくなる

公序

定義

通則法42条
準拠法の適用結果が自国法上の根本原則・基本的理念に反する場合に、その外国法の適用を否定する(一般留保条項)。
→準拠法の適用排除・内外法平等に対する例外

消極的公序

単に外国法の適用を排除する

積極的公序

内国強行法を適用する

公序の内容

自国の法秩序を維持する目的
民法90条とは異なる抵触法上の公序

適用要件

  1. 反公序性
    具体的な適用結果(≠準拠法の内容)が自国の基本的法秩序を現実に侵害する
  2. 内国関連性
    当該事案が自国と密接な関連性を有する
  3. 基準時
    現在の法秩序を害する

準拠法排斥後の処理

適用否定→法の欠缺

内国法適用説(法廷地法説)
内国法への補充的送致があると解する(旧通説・判例
欠缺否認説
外国法の適用を排除した内国公序が存在する=規範の欠缺は生じない
→批判:排除後の解決方法が1つに限られない場合もある
補助連結説
改めて準拠法選択規則を適用し次順位の法を適用する
条理説
外国実質法欠缺の場合に準じて条理で処理する

刑法事例演習教材30「暗転した同窓会」

受験生時代に作成した、刑法事例演習教材(初版)設問の回答例。

第1 第1暴行について
1 甲の罪責
(1) 甲はBの顔面を強く殴打し(第1暴行)、これによりBは後頭部をタイル張りの地面に打ち付けられて頭蓋骨骨折に伴うクモ膜下出血を生じて死亡しているから、甲には傷害致死罪(205条)が成立しないか、以下検討する。
(2) 構成要件該当性
ア 「傷害」とは不法な有形力行使等により人の身体の生理的機能を害することをいう。甲はBの顔面を殴って転倒させ、後頭部を地面に打ち付けさせて頭蓋骨骨折及びこれに伴うクモ膜下出血を生じさせているから、Bを「傷害」したといえる。
イ Bの「死因となる傷害は甲の第1暴行によって生じたもの」であるから、上記傷害とBの死亡結果との因果関係も認められる。
(3) 正当防衛
ア 正当防衛は、法益の衝突状況を不正の侵害者の犠牲により解決する制度であって、客観的に侵害者の法益が減少・消滅している点から違法性を阻却するものである。
 第1暴行はBに髪を引っ張りまわされていたAを助けるために行ったものであるから、正当防衛(36条1項)が成立しないか問題となる。
イ 「急迫不正の侵害」
 「急迫不正の侵害」とは、違法な法益侵害が現に存し、又は差し迫っていることである。
 Bは現にAの髪を引っ張りまわすという暴行行為を行っていたから、「急迫不正の侵害」が認められる。
ウ 「防衛するため」
 「防衛するため」の内容としていわゆる防衛の意思を必要とする見解もあるが、正当防衛は正対不正の関係において不正の侵害者の法益が減少・消滅し、防衛行為の違法性が阻却される制度であるから、客観的な防衛状況があればよく、防衛の意思は不要である。
 本件では、第1暴行はBのAに対する暴行を止めるために行われているから、客観的に見て「他人の権利を防衛するため」にしたといえる。
エ 「やむを得ずにした行為」
 「やむを得ずにした」とは、行為の必要性及び結果の相当性をいうと解する。なぜなら、防衛に不要な行為まで保護する必要はないし、防衛に必要な行為であっても、防衛すべき法益に対し害される侵害者の法益が著しく大きいような場合には、もはや法益の衝突を侵害者の犠牲によって解決するのが妥当な場合とはいえなくなるからである。
 本件では、髪を引っ張るという暴行からの防衛のために、死亡という重大な結果が生じており、法益の不均衡が著しい。よって、「やむを得ずにした」とはいえない。
オ 以上より、正当防衛は成立せず、過剰防衛(36条2項)が成立するにとどまる。
(4) 故意
ア 加重結果の故意があれば別罪が成立するので、結果的加重犯の故意は基本犯の故意で足りるが、責任主義の観点から、加重結果については過失が必要であると解する。
イ 基本犯の故意
(a) 甲は第1暴行について認識を欠くところがないから、傷害罪(204条)の実行行為の認識はある。
(b) しかし、正当防衛の意思で第1暴行を行っているから、故意が阻却されないか。故意とは犯罪事実の認識であるところ、違法性阻却事由を基礎づける事実の存在を誤信している場合には、違法性を基礎づける事実の認識があるとはいえず、犯罪事実の認識を欠くから、故意が阻却される。よって、結果的に相当性をこえていても、相当性を基礎づける事実について誤信があれば、故意を阻却しうる。
(c) そこで本件についてみると、Bは第1暴行以前にも顔や腹を殴られながらAの髪を離さずにいるなど、丈夫な様子を見せている。しかし、甲は25歳の若い男性であるのに対しBは酩酊した50歳男性と体力差は歴然であるし、タイル敷きの路上は硬く危険である。そこで態勢が崩れた相手の顔面を強く殴る行為は、それ自体重大な結果を生じうる行為である。
(d) よって、甲の故意は阻却されない。
ウ 加重結果についての過失
(a) 過失は故意と並ぶ責任要素であって、精神を緊張させていれば結果を認識・予見しえたのに、これを怠ったことへの非難である。よって、過失とは結果の予見可能性を前提とした予見義務である。そして、抽象的な危惧感だけで処罰するのは妥当でないから、特定の構成要件的結果に対する具体的な予見可能性を要する。
(b) 本件では、上述のように第1暴行が危険な行為であって、転倒によりタイル敷きの地面に頭部を打ちつければ死亡することも予見しえたといえるから、甲には加重結果に対し予見可能性があったと認められる。
(5) 以上より、甲には傷害致死罪が成立し、過剰防衛により任意的減免がなされる。
2 乙の罪責
(1) 乙は、2人で協力してAの髪からBの手を離させようとしていたから、Aの防衛のために共同してBを攻撃するという意思連絡が成立していたと解される。そして、第1暴行はかかる意思連絡に基づく行為であるから、甲と意思を通じて防衛行為を共同実行していた乙についても、第1暴行につき共同正犯(60条)となる。
(2) もっとも、主観については行為者ごとに判断すべきところ、甲の過剰結果を招いた行為につき乙は認識していなかったとして、故意が阻却されないか。
 この点、タイル敷きの路上で酩酊者の顔面や腹部を殴打すること自体、十分に危険な行為であって、乙は甲の過剰な防衛行為についても認識していたと解すべきであるから、故意は阻却されない。
 また、かかる危険性を認識していた以上、加重結果についても予見可能であったと認められるから、乙は死の結果についても罪責を負う。
(3) 以上より、乙には傷害致死罪の共同正犯が成立し、過剰防衛による任意的減免を受ける。

第2 第2暴行について
1 乙の罪責
(1) 乙は、Bが転倒した後に腹部等を足げにしたり、足で踏みつけるなどの暴行(第2暴行)をなしているから、乙には暴行罪(208条)が成立しないか。
(2) 構成要件該当性
ア 「暴行」とは人の身体に対する有形力行使をいうと解すべきところ、乙はBの腹部等を足げにしたり足で踏みつけるなどの有形力を行使しており、「暴行」を加えたといえる。
イ また、Bには第2暴行によって傷害が生じたという事情はない。よって、第2暴行は暴行罪の構成要件に該当する。
(3) 故意
 乙は激怒しているとはいえ第2暴行につき認識を欠いているとはいえないので、故意も認められる。
(4) 過剰防衛
ア 第2暴行は第1暴行に続けてなされたものであるから、両暴行を一連一体の行為と解しえないか。そのように解しうれば、第2暴行は過剰防衛たる第1暴行の過剰部分にあたり、全体として任意的減免を受けることから問題となる。
イ 第1暴行によりBは意識を失い、この時点で攻撃は終了している。そして乙は、Bが動けなくなったことを認識した上で報復的に第2暴行に及んでいるから、第2暴行は新たな犯意に基づく行為であって、第1暴行とは別個の行為であると解すべきである。
ウ よって、第2暴行では攻撃終了後でありそもそも急迫不正の侵害がない以上、過剰防衛は成立しない。
(5) 以上より、乙には暴行罪が成立する。
2 甲の罪責
(1) 甲は第2暴行には加わっていないが、第2暴行は第1暴行に続けて行われたのであるから、第2暴行についても乙と共犯であるとして、暴行罪の共同正犯が成立しないか。以下検討する。
(2) 共犯関係
ア 共犯の処罰根拠は、他人の行為を介して法益侵害を惹起する点にある。したがって、複数の行為にまたがる場合であっても、結果に対する因果性の及ぶ範囲で共犯を認めうる。そして、心理的因果性は共謀の範囲で認められるものであるから、共謀に含まれない行為については共犯関係に立たないと解される。
イ 本件についてみると、第1暴行は、Aを助けるための行為であり、甲乙もそのために共同でBを攻撃したのであるから、第1暴行において成立した甲乙間の共謀は、Aのための防衛行為に限定されていると解すべきである。そうだとすれば、Bによる攻撃が終了しAが解放された時点で甲乙間の共犯関係は終了し、甲乙はその後の行為について共犯関係に立たないといえる。
ウ そこで、第2暴行について甲が乙の共犯となるには、第2暴行について新たに共謀が成立している必要がある。本件では、甲はAとともに数メートル離れたところで乙の第2暴行を黙って見ていたにすぎず、1分ほどするとむしろこれを止めに入っているのであるから、甲乙間に新たな共謀があったとは認められない。よって、第2暴行につき甲は乙の共犯とはならない。
(3) 以上より、甲は第2暴行につき罪責を負わない。

第3 罪数
1 甲には傷害致死罪の共同正犯が成立し、過剰防衛による任意的減免の対象となる。
2 乙には、傷害致死罪の共同正犯及び暴行罪が成立し、両者は併合罪となるが、前者については過剰防衛による任的減免の対象となる。

以上


刑法事例演習教材 刑法事例演習教材 第2版

刑法事例演習教材27「欲深い売主」

受験生時代に作成した、刑法事例演習教材(初版)設問の回答例。

第1 甲の罪責について
1 Aに売却した土地(以下「本件土地」という)をBに二重譲渡した行為について
(1) Aに対する横領罪
ア 既にAに売却した本件土地を、移転登記未了を利用してBに売却した行為は、横領罪(252条1項)に該当しないか、以下検討する。
イ 構成要件該当性
(a) まず、本件土地は「他人の物」にあたるか問題となる。民法上は当事者の意思表示のみで物権が移転するのが原則であるし、本件では、代金の8割が支払済みであるから、本件土地はもはやAの所有に帰したと認められ、「他人の物」に該当する。
(b) また、横領罪における「占有」とは、本権者との委託信任関係に基づくものであり、物に対する事実的支配のみならず、法律的支配も含むと解する。なぜなら、占有離脱物横領(254条)との関係から252条の占有は本権に基づくことを前提としていると解されるし、委託信任関係を前提とした本罪は、奪取によらずとも法律上容易に他人の物を処分しうるという処分可能性を問題とした罪であると解されるからである。
 甲は登記上の名義を有し、民法上有効に別人に所有権移転をなしうる地位にあるから、本件土地を「占有」しているといえる。そして、甲は売買契約に基づきAに対して登記移転協力義務を負うと解され、かかる占有はAとの委託信任関係に基づいて成立しているといえる。
(c) 横領罪は領得罪であるから、「横領」とは、不法領得の意思を実現することと解される。横領罪にいう不法領得の意思は、占有侵害を伴わないことから権利者排除意思は不要であるが、毀棄罪との区別の必要性はなお認められるので、委託の趣旨に反して他人の物を利用処分する意思であると解する。
 Bに対する登記移転がなされないうちは、なおAは民法上本件土地の所有権を失わない。AがBより先に登記を具備すればAの所有権は確定的となりうるのであるから、Bに登記移転がなされる前にはいまだ不法領得の意思が実現したとはいえないと解すべきである。
ウ 以上より、Bが売買契約を解除し、登記具備に至らなかった本件では、甲には横領罪の未遂が成立するにとどまり、横領罪には未遂犯処罰規定がないため不可罰である(44条)。
(2) Bに対する詐欺罪
ア 既にAに売却済みであることを秘して本件土地をBに売却した行為は、Bに対する詐欺罪(246条1項)に該当しないか。
イ 構成要件該当性
(a) 単に事実を秘する行為も、相手方の錯誤を生じさせ、これを認識しつつ利用していることから詐欺行為に該当する。また、かかる詐欺によってBは2500万円を交付している。
(b) 詐欺罪は財産犯である以上、財産的損害も不文の構成要件であると解すべきであるところ、BはAより先に登記を具備すれば確定的な所有権を得られるのであるから、財産的損害がないのではないか、問題となる。確かに、所有権を得ても民事紛争に巻き込まれる可能性は高く、本件ではAがBの会社の取引相手であることなどから、対立的地位に立つという不利益が生じうる。しかし、取引内容に含まれないような周辺的な不利益まで詐欺罪の損害に含めることは、損害概念の過度の拡張となり妥当でない。よって、取引によって事後的に生じうる紛争リスクについては詐欺罪の損害とは認められない。Aの登記具備による所有権の喪失が生じていない本件では、Bに財産的損害は認められず、甲に詐欺既遂罪は成立しない。
ウ 未遂罪
(a) 詐欺既遂罪が成立しないとしても、代金2500万円の交付は行われていたのであるから、詐欺未遂罪(250条、246条1項)が成立しないか。「実行に着手」(43条)しているかが問題となる。
(b) 未遂罪の処罰根拠は、処罰が必要な程度に法益侵害の実質的危険が生じていることにある。よって、実行の着手があるというためには、法益侵害の実質的危険が生じていることを要する。
(c) 本件では、Aは登記移転に必要な書類の入った金庫のパスワードを知っており、いつでも登記を具備できる状態にあった。すなわちBはいつでも本件土地の所有権を喪失する可能性があったのであり、かかる状態のまま代金2500万円を交付した時点で、Bに2500万円の損害が生じる実質的危険が生じていたといえる。よって、本件では実行の着手が認められる。
エ 以上より、甲には詐欺未遂罪が成立する。
2 本件土地にCのための抵当権を設定した行為について
(1) 本件土地にCのための抵当権を設定し、これによりCから融資を受けた行為は、横領罪に該当しないか。
(2) 構成要件該当性
ア 前述のように、本件土地はAの所有する「他人の物」と解され、甲は本件土地に対し委託信任関係に基づく「占有」を有する。
イ そして、甲は不動産の交換価値を掌握させる抵当権を設定し、これにより融資を得ようとしていることから、完全な所有権を移転するというAとの委託の趣旨に反し、他人の物を利用処分するという不法領得の意思が認められる。
ウ Cは抵当権設定登記を具備し、対抗要件を備えているから、かかる不法領得の意思を実現する行為がなされたといえ、甲の行為は横領罪の構成要件に該当する。
(3) 故意
 甲は以上の行為につき認識を欠くところがないから横領罪の故意が認められる。
(4) 以上より、甲にはAに対する横領罪が成立する。
3 本件土地を乙に二重譲渡した行為について
(1) 移転登記未了を利用して本件土地を乙に売却した行為は、横領罪に該当しないか問題となる。
(2) 構成要件該当性
ア 前述のように、本件土地はAの所有する「他人の物」であり、甲は委託信任関係に基づきこれを占有する者であるから、本件土地を乙に売却し代金を得る行為は、横領罪の構成要件に該当する。
イ そして、乙に対しては移転登記を完了しており、Aは確定的に本件土地の所有権を失っているから、不法領得の意思が実現したといえ、既遂に達している。
(3) 故意
 甲には以上の構成要件該当行為につき認識を欠くところがないから、横領罪の故意も認められる。
(4) 横領物の横領の可否
ア 本件土地は、Cに対する抵当権設定により既に不法領得されている。とすれば、同一の物を二度横領することはできないとして、乙に対する売却についてはいわゆる不可罰的事後行為となり、処罰しえないのではないかが問題となる。
イ 横領罪は、他人の物に対する処分可能性を問題とするという性質から、占有侵奪を伴う財産犯と異なり、領得行為後もなお客体が保護すべき状態で残存しうる。そうだとすれば、かかる状態にある客体に対して行われた第二の横領行為についても、可罰的な法益侵害があると解すべきである。本件では、第一の横領では抵当権の設定が確定したにすぎず、Aは完全に所有権を喪失したわけではないから、本件土地はなお横領罪により保護すべき状態を維持しており、これに対する第二の横領は可罰的である。
(5) 以上より、甲にはAに対する横領罪が成立する。

第2 乙の罪責について
1 乙は事情を知りつつ甲から本件土地を買い受けているが、かかる行為は甲のAに対する横領罪の共同正犯(60条)に該当しないか。
2 確かに、乙は甲の行為が横領罪に該当することを認識しつつ、これに不可欠な買い受け行為を行っている。しかし、民法上、二重譲渡の第二譲受人は単純悪意である限り保護され、正当な権利者として認められている。そうだとすれば、単純悪意の第二譲受行為は、刑法の謙抑性の観点から刑法上も適法と解すべきである。
3 以上より、特に乙の背信性を基礎づける事情のない本件では、乙の行為は横領罪の共犯とならないと解される。

第3 罪数
 甲には、Aに対する2個の横領罪とBに対する詐欺未遂罪が成立する。ただし、前二者はいずれも同一の法益を侵害行為であって、一方の処罰で他方についても評価を尽くせる共罰的行為の関係にあるから、包括一罪となる。そして、これと詐欺未遂罪は併合罪となる。

以上


刑法事例演習教材 刑法事例演習教材 第2版

刑法事例演習教材23「即断3連発」

受験生時代に作成した、刑法事例演習教材(初版)設問の回答例。

【※罪名等は当時(刑法改正前)のもの】

第1 Bの胸をまさぐり、首筋にキスをした行為について
1 甲はBを背後から羽交い絞めにしてその胸をまさぐり、首筋の数か所にキスをしている。Bは男性であり「女子」を被害客体とする強姦罪(177条)は成立しえないが、Bに対する強制わいせつ罪(176条)が成立しないか。
2 構成要件該当性
(1) 強制わいせつ罪の保護法益は個人の性的自由であるから、「わいせつな行為」とは、人の性的羞恥心を害する行為であると解する。
(2) 胸をまさぐり、首筋にキスをする行為は、性交渉に近いものであって、人の性的羞恥心を害するのに十分な行為であるから、甲の上記行為は「わいせつな行為」に該当する。
(3) また、「暴行」とは人の身体に対する不法な有形力行使をいい、「脅迫」とは一般人をして畏怖せしめるに足る害悪の告知をいう。そして、強制わいせつ罪における「暴行」「脅迫」は、相手の反抗を著しく困難にする程度のものであると解される。
(4) 本件では、甲はBを背後から羽交い絞めにして胸をまさぐり、首筋にキスをするなど、わいせつ行為自体が不法な有形力行使となっており、その回避が著しく困難であったほか、「刃物を持っているんだ、おとなしくいうことを聞けば殺しはしない」などと抵抗すれば殺すという意味の言葉もかけているから、人を畏怖させ、反抗を著しく困難にする害悪の告知がある。
(5) よって、甲の上記行為は強制わいせつ罪の構成要件に該当する。
3 故意
(1) 抽象的事実の錯誤
ア 甲はBをA女だと誤信して、すなわち強姦の故意で上記行為を行っていたのであるから、Bに対する強制わいせつ罪の故意が認められないのではないか。
イ この点、故意とは構成要件的結果の認識であるから、異なる構成要件間の錯誤は原則として故意を阻却する。しかし、構成要件に実質的な重なり合いがある場合には、その限度で、一方の構成要件的結果の認識により他方の構成要件的結果も認識していると評価できる。よって、その重なり合う限度で故意を認めてよいと解する。
ウ 甲は強姦罪を犯す意思で強制わいせつ罪を犯しており、強姦罪は強制わいせつ罪のより重大な類型として重罰を科すものであると解されるから、両者は強制わいせつ罪の限度で重なり合う関係にある。よって、甲には強制わいせつ罪の故意が認められる。
(2) 客体の錯誤
ア また、被害客体がAとBで異なっているところ、かかる点でも故意が阻却されないか問題となる。
イ この点、構成要件は被侵害法益の主体ごとに判断するから、故意の判断においても被害者の個別性は無視できないが、甲は現にBを認識してBにわいせつ行為を行っており、その人がAであるとの認識は評価の問題に過ぎないから、主観と客観で事実に齟齬はなく、錯誤は認められない。よって、故意は阻却されない。
4 以上より、甲にはBに対する強制わいせつ罪が成立する。

第2 Bに対する傷害について
1 甲は人違いに気付いて逃げようとしたところ、Bに追いつかれたため、Bの胸を強く押して転倒させた上背後にあった岩石に頭を打ち付けさせ、加療40日間の重傷を負わせている。かかる傷害結果により、甲には更に強制わいせつ致傷罪(181条1項)が成立しないか。
2 構成要件該当性
(1) Bへの傷害結果は、逃走のための暴行により生じたものであるが、かかる場合も強制わいせつ致傷罪に該当するか。
(2) 181条1項は、強制わいせつの機会に被害者に死傷結果を及ぼすことが刑事学上顕著な事実であることから、特に重く処罰したものである。よって、死傷結果は、強制わいせつ行為及びこれに続く行為、すなわち先行する強制わいせつ行為と時間的・場所的に近接した段階における行為によって生じたものを意味すると解する。
(3) 本件では、甲は強制わいせつ行為後逃げようとしてすぐに追いつかれ、強制わいせつの現場のすぐそばでBを傷害させている。よって、強制わいせつ行為に続けて、これと時間的にも場所的にも近接した段階における行為により傷害結果を発生させているから、かかる傷害結果は強制わいせつ致傷罪の致傷といえる。
3 過失
(1) 強制わいせつ致傷罪は、結果的加重犯であるところ、責任主義の観点から加重結果の発生についても過失すなわち予見可能性が必要であると解する。
(2) そして、身体能力で優る甲がBを強く押せばBが転倒すること、林道で人が転倒すれば、岩などにより頭部を打ち怪我をすることも十分予見可能であったといえるから、甲にはBの傷害結果につき過失が認められる。
4 以上より、甲には強制わいせつ致傷罪が成立する。

第3 Bを繁みに隠した行為について
1 甲は、転倒により頭を打って失神したBを、10メートルほど運んで林道の繁み深くに隠している。これにつき保護責任者遺棄罪(218条)又は単純遺棄罪(217条)が成立しないか。
2 保護責任者遺棄罪
(1) 「保護する責任のある者」
ア 保護責任者遺棄罪の成立には、行為者が「保護する責任のある者」であることが必要であるから、まずこの要件について検討する。
イ 「遺棄」を、作為により要扶助者に生命・身体の危険を創出させる行為であると解すると、不作為行為たる不保護によっても処罰される「保護する責任のある者」とは、かかる危険を排他的に支配しうる地位にある者と解すべきである。ただし、自らの意思によらずに排他的支配が生じた場合には、要扶助者との間に社会生活上の継続的な保護関係があることも必要とすべきであると解する。
ウ 本件では、人気の少ない林道とはいえ、通行人が通りかかれば確実に発見される場所であって、夜10時と人が通りかかることも期待しうる時間帯である。また、少なくとも本来の待ち伏せ対象であるAはそこを通行する可能性が高かったといえる。よって、甲に排他的支配があったとまではいえず、甲は「保護する責任のある者」には該当しない。
(2) 甲は「保護する責任のある者」に該当しないから、保護責任者遺棄罪は成立しない。
3 単純遺棄罪
(1) 構成要件該当性
ア 客体
 Bは頭を打って失神していたのであるから、「疾病のために扶助を必要とする者」に該当する。
イ 「遺棄」
 不作為による置き去りまで「遺棄」に含めると処罰範囲が拡大しすぎることから、「遺棄」とは要扶助者の作為による移置であると解する。本件では、甲はBを10メートル離れた場所に移動させているから、「遺棄」に該当する。
(2) 故意
ア 甲は、Bが死んだものと誤信して、すなわち死体遺棄罪(190条)の故意でBを遺棄しているから、単純遺棄罪の故意が阻却されないか。
イ この点、異なる構成要件間の錯誤でも構成要件が実質的に重なり合っていればその限度で故意を認めうる。しかし、単純遺棄罪は人の生命・身体を保護法益としているのに対し、死体遺棄罪は風俗・慣習に対する国民感情を保護法益とし、その行為態様としても、生者の遺棄と死体の遺棄では全く異なる。
ウ よって、構成要件の重なり合いは認められず、甲には単純遺棄罪の故意は認められない。
(3) 以上より、Bを繁みに隠した行為について甲は何らの罪責も負わない。

第4 Bの現金を持ち去った行為について
1 窃盗罪の成否
(1) 甲はBの財布から現金5万円を持ち去っているから、窃盗罪(235条)が成立しないか。
(2) 構成要件該当性
ア 甲はBの現金を許可なく持ち去っており、「他人の財物」について占有を侵害しているから、「窃取」したといえる。
イ また、毀棄罪との区別の必要から、窃盗罪には本権者を排除し財物を利用処分するという不法領得の意思が必要と解される。本件では、甲は遊興目的で費消するために持ち去っているから、不法領得の意思が認められる。
(3) 故意
ア 甲はBが死んだものと誤信しているから、占有侵害について認識がなく、故意が阻却されないか。
イ この点、占有とは物に対する事実的支配を意味するから、物に対する支配を有しえない死者には占有も認められないと解すべきである。そうだとすれば、Bを死者と誤信している甲には占有の認識がなく、窃盗罪の故意が阻却される。
ウ これに対し、死亡させた者との関係では、生前の占有が死亡直後においてなお保護されるとの見解もあるが、占有の喪失時期をあいまいにすることから妥当でない。
2 占有離脱物横領罪の成否
(1) 甲は、占有離脱物横領罪の故意で窃盗罪を犯しているから、窃盗罪では処罰できない(38条2項)。そこで、主観面の認識に対応した占有離脱物横領罪で処罰できないか。窃盗罪の構成要件該当行為が占有離脱物横領罪の構成要件にも該当するといえるか問題となる。
(2) この問題を検討すると、一方において、占有離脱物横領罪は所有権を保護法益としている。他方、窃盗罪は、他人の占有する自己の財物をも保護対象としている(242条)ことから、占有自体を保護法益としているとも思える。しかし、正当な権限に基づかない占有まで保護する必要はないし、242条は「自己の財物であっても」「他人の財物とみなす」として、あくまで例外的に他人の占有する自己物を財産犯の客体としている。よって、窃盗罪の保護法益は本来的には所有権その他の本権であって、占有については、本権に基づく場合、又は本権に基づいて開始したが現在ではその存在について争いがあるような場合に限り、これを保護する趣旨であると解すべきである。そうだとすれば、両罪はいずれも領得行為により所有権を侵害する罪であって、占有侵奪を伴わない占有離脱物横領罪の限度で構成要件を同じくしているものと解される。
(3) よって、窃盗罪の実行により占有離脱物横領罪をも実行したといえるから、甲は軽い主観面の認識に対応した占有離脱物横領罪の罪責を負う。

第5 罪数
 甲には強制わいせつ致傷罪と占有離脱物横領罪が成立し、両者は併合罪(45条)となる。

以上


刑法事例演習教材 刑法事例演習教材 第2版

刑法事例演習教材19「週刊だけど『毎朝』」

受験生時代に作成した、刑法事例演習教材(初版)設問の回答例。

第1 甲の罪責について
1 甲は、(1)ないし(3)の記事において、ACEを犯人として扱っているが、かかる行為につき名誉毀損罪(230条1項)が成立しないか。
2 記事(1)について
(1) 構成要件該当性
ア 名誉毀損罪は、摘示事実について「その事実の有無にかかわらず」成立するから、同罪が保護する「名誉」とは外部的・事実的名誉、すなわち社会的評価であると解される。そして、社会的評価の低下を立証することは困難であるから、社会的評価を低下させる程度の事実の指摘があれば、実際に評価が低下したことは要しない。
イ 記事(1)は、「捜査関係者」の言葉を借りて、AがB殺害の真犯人であることを暗に断定しているから、Aが殺人を犯した悪人であるという悪評価をさせるに足る事実の指摘をしているといえ、「名誉を毀損した」ものといえる。
ウ また、「公然」とは不特定多数人が認識しうる状態をいうと解するところ、この記事は「週刊毎朝」という不特定多数の人が購読しうる週刊誌に掲載されているから、「公然と事実を摘示」したものといえる。
エ 以上より、甲の記事(1)掲載行為は名誉毀損罪の構成要件に該当する。
(2) 公共の利害に関する場合の特例
ア 230条の2は、①「公共の利害に関する事実」の指摘であること、②「専ら公益を図る」目的であること、③摘示事実が真実であることの証明があったことを要件として、名誉毀損罪に該当する行為を不可罰としている。そこで同条の適用の有無を検討すべきところ、これと関連して同条の趣旨が問題となる。
イ この点、同条は、個人の名誉と表現の自由憲法21条)の調和を図った規定であると解される。すなわち、国民が民主的な意思決定をなすのに必要な事実については、自由な言論の下で公衆の批判に晒す必要があるから、たとえそれが個人の名誉を害するとしても、かかる事実の摘示を適法な行為として保護すべきとする趣旨である。そうだとすれば、同条は単なる処罰阻却ではなく、摘示行為の違法性自体を阻却する規定であると解される。
ウ かかる趣旨に鑑みれば、①「公共の利害に関する事実」とは、民主政の過程で主権者たる国民が知っておくべき事実であると解される。また、そのような事実はそもそも一般に知られているべきであるから、その摘示目的如何によって適法性が左右されると考えるべきではなく、②「専ら公益を図る」目的は、摘示事実が「公共の利害に関する事実」であることの認識があれば足りると解すべきである。更に、虚偽の事実が国民の意思決定に資することはありえないから、実体的な違法性阻却事由としては摘示事実が真実であることが必要であり、③「真実であることの証明」もこれを定めたものであると解する。
エ 本件についてみると、①「公訴が提起されるに至っていない人の犯罪行為に関する事実は、公共の利害に関する事実とみなす」(230条の2第2項)とされるところ、記事(1)は、未だ起訴されていないAが、殺人事件の犯人であるという事実を指摘するものであるから、「公共の利害に関する事実」に該当する。また、②甲にもかかる事実に該当するという認識はあるから、「目的が専ら公益を図る」場合に該当する。しかし、③Aは起訴すらされておらず、摘示事実が真実であることすなわちAが殺人の真犯人であることの証明はないし、他の報道における「一般的な論調」を参考として記事を書いた甲に、そのような証明が可能とは考えられない。
オ よって、記事(1)について230条の2による違法性阻却は認めがたい。
(3) 故意
ア 「真実であること」の証明ができなかったとしても、甲は「AがB殺害の真犯人であることは間違いないと考え」ていたのであるから、「真実であること」につき誤信があり、錯誤により故意が阻却されないか。
イ 故意とは違法事実の認識であると解されるところ、違法性阻却を基礎づける事実の認識があれば、違法を基礎づける事実の認識がなかったと評価しうるから、故意は阻却される。
ウ 「真実であることの証明」については、上記のように違法性阻却事由であると解される。また、実体法的解釈上はあくまで「事実が真実であったこと」を違法性阻却事由と解さざるを得ない。よって、真実性を誤信していた甲は、錯誤により故意が阻却される。
(4) 相当な根拠なく真実性を誤信した者の可罰性
ア 名誉と表現の自由の調和という230条の2の趣旨に鑑みれば、同条が保護するのはあくまで正当な言論行為である。そして、正当な言論というためには原則として真実の言論である必要があり、真実性が明らかでない場合にはこれを明らかにするための情報収集義務が課されていると解すべきである。そうだとすると、同条はかかる義務を尽くした場合にのみ違法性を阻却する趣旨であると解される。これを換言すれば、情報収集義務を尽くせば虚偽性を認識しえたにもかかわらずこれをしなかった場合には、なお可罰性が認められるということであるから、同条は、名誉毀損罪の過失犯処罰を定める「特別の規定」(38条1項ただし書)にあたると解すべきである。そこで、以下過失の有無について検討する。
イ 過失とは、精神を緊張させていれば結果を認識・予見しえたにもかかわらず、これを怠ったことに対する責任非難である。従って、過失とは、予見可能性を前提とした予見義務であると解される。
ウ 本件では、記事(1)の掲載にあたり、甲は「多くのメディアが報道していることから、AがB殺害の真犯人であることは間違いないと考え」たのであり、特にAの犯人性を裏付ける証拠資料も有していなかったのであるから、Aが殺人犯であるという事実が真実でないことも予見可能であったといえ、甲には過失が認められる。
(5) 以上より、甲は記事(1)の掲載につき名誉毀損罪の罪責を負う。
3 記事(2)について
(1) 構成要件該当性
 記事(2)では、Cが私的買物のレシートを会社に持ち込んで経費として現金を受領し、会社資金を横領したとする事実が指摘されている。かかる犯罪事実はCの社会的評価を低下させるに足るものであるから、これを週刊誌に掲載した甲の行為は名誉毀損罪の構成要件に該当する。
(2) 公共の利害に関する場合の特例
ア 刑罰の適正及び裁判の公開は憲法上も定められた、民主政に不可欠な事項であるから、刑法犯の裁判結果も当然に「公共の利害に関する事実」に該当するといえる。
イ そして、そのような事実であることを認識している以上、「目的が専ら公益を図る」場合にも該当する。
ウ しかし、Cはその後無罪が確定しているのであるから、Cが横領罪を犯したという事実については、真実でなかったことが明らかとなったものといえ、「真実であることの証明があったとき」という要件を充足することは不可能であるといってよい。
エ よって、甲には230条の2による違法性阻却は認められない。
(3) 故意
ア 甲はCの当該横領事件裁判の「第1審判決の事実認定が正しいと考え」て、記事(2)を掲載したのであるから、摘示事実の真実性につき錯誤に陥っている。
イ 前述のように、かかる錯誤は違法性阻却を基礎づける事実の錯誤として故意を阻却するから、甲は故意が阻却される。
(4) 過失
ア 前述のように、230条の2は過失犯処罰規定にもあたると解されるところ、甲には摘示事実の真実性を誤信した点につき過失があるか。
イ この点、甲は上記第1審判決の判決文に即して記事を作成している。これに対し甲は独自調査等は行なっていないが、裁判所による判断は、第1審であっても高度の信頼性があると一般に認識されているから、一介の記者である甲の独自調査をするまでもなく判決文の内容が真実であると信じるのも、無理からぬ事である。
ウ よって、甲には記事(2)掲載の事実が虚偽であることにつき予見可能性があったとはいえず、過失は認められない。
(5) 以上より、甲は記事(2)の掲載につき何ら罪責を負わない。
4 記事(3)について
(1) 構成要件該当性
 記事(3)では、EがD市における連続放火の犯人であると暗に断定している。記事内ではEの本名は掲載されていないが、関係者が読めばEのことであることが明らかな書き方であったのだから、かかる記事はEの社会的評価を低下させるに足る事実の摘示といえる。よって、甲の記事(3)掲載行為は、名誉毀損罪の構成要件に該当する。
(2) 公共の利害に関する場合の特例
ア 記事(3)は現に発生している連続放火犯に関するものであるから、「公訴が提起されるに至っていない人の犯罪行為に関する事実」(230条の2第2項)にあたり、「公共の利害に関する事実」とみなされる。
イ そして、甲においてそのような事実であることにつき認識がある以上、「目的が専ら公益を図ること」にあったといえる。
ウ しかし、実際にはFが真犯人として逮捕され、有罪も確定していることから、記事(3)は真実でなかったと認められ、事実が「真実であることの証明があったとき」との要件は充足し得ない。
エ よって、記事(3)の掲載につき違法性は阻却されない。
(3) 故意
 前述のように、摘示事実の真実性につき錯誤があれば故意が阻却されるところ、甲は乙の発言からEが犯人であると信じていたから、甲の故意は阻却される。
(4) 過失
ア 230条の2が過失名誉毀損罪を処罰していると解されるところ、記事(3)の掲載につき甲に過失はあるか。
イ この点、記事(3)の作成においては、一般人である乙の発言以外に依拠する資料はなく、かかる発言の裏付け取材すら十分には行われていなかった。このような薄弱な根拠に基づいた事実摘示が真実に反しうることは容易に予見できるから、甲には過失が認められる。
(5) 以上より、甲は記事(3)の掲載行為につき名誉毀損罪の罪責を負う。

第2 乙の罪責について
1 乙は、記事(3)の作成にあたって、「犯人はEに間違いない」などと甲に話していることから、名誉毀損罪が成立しないか。
2 構成要件該当性
(1) 乙はEが放火犯人であるという事実を摘示しており、かかる事実はEの社会的評価を低下させるに足るものである。しかし、乙は甲1人に話しただけであるから、「公然」の要件を充足しないのではないか。乙が、自己の発言が記事に掲載される可能性があると認識していたこととの関係で問題となる。
(2) この点「公然と事実を摘示し」という文言からみて、公然性は事実摘示行為について必要な要素であると解されるし、その後の不特定多数人への伝播の有無で処罰の有無が変わるのは不合理である。よって、公然性はあくまで事実摘示行為について必要であると解され、仮に不特定多数人への伝播可能性を認識していたとしても、「公然と事実を摘示」したとはいえないと解する。
(3) 本件では、乙は甲1人に対して事実を摘示したにすぎないから、「公然と事実を摘示」したといえず、かかる行為は構成要件に該当しない。
3 共犯
(1) 乙自身の行為が名誉毀損罪の構成要件に該当しないとしても、甲の記事(3)掲載可能性を認識しつつこれに協力していることから、甲との名誉毀損罪の共犯が成立しないか。
(2) この点、乙は名誉毀損行為について甲と意思連絡をしたわけではない。しかし、共犯の処罰根拠は、他人の行為を介して、構成要件的結果を惹起する点にあるから、甲の名誉毀損罪について物理的・心理的因果性を有していれば、乙には甲との共犯が成立しうる。そして、正犯性を認めるに足る強度の因果性が認められれば共同正犯となり、犯意を誘発し、あるいは結果発生を容易にする程度の因果性であれば、それぞれ教唆(61条)、幇助(62条)となる。
(3) そこで乙についてみると、乙は自己の発言が記事に掲載される可能性を認識している。しかし、取材によって得られた発言は、通常記者側で裏付け調査をした上で取捨選択し、記者側の自由意思で掲載の有無を決定するものである。また、乙は単なる一般人であって甲に影響を与えうるような地位にもない。そうだとすれば、乙の発言は、甲に対し強度の物理的・心理的因果性を及ぼすどころか、記事掲載の意思を誘発させ、あるいはそれを容易にするものとすらいえない。
(4) よって、乙は甲と共犯関係に立つとはいえず、名誉毀損の共犯は成立しない。
4 以上より、乙は何らの罪責も負わない。

以上


刑法事例演習教材 刑法事例演習教材 第2版

刑法事例演習教材14「燃え移った炎」

受験生時代に作成した、刑法事例演習教材(初版)設問の回答例。

1 甲乙丙は、洞道から一時退出する際にトーチランプの消火を怠っており、これによりトーチランプから防護シートに火が燃え移ったのち、洞道壁面を焼損していることから、業務上失火罪(117条の2、116条2項、110条1項)が成立しないか。
2 構成要件該当性
(1) 客体
ア 放火罪・失火罪は、木造建築物の多い我が国における火災の危険性から特に重罰規定を置いたものと解されるところ、同罪における「建造物」とは家屋その他これに類似する工作物であって、本件洞道はこれに該当しない。
イ また、「鉱坑」も、同様に火災の危険が極めて大きい炭鉱等の坑道を指すと解され、本件洞道はこれに該当しない。その他、「汽車、電車、艦船」にも該当しないことは明らかである。
ウ よって、本件洞道は「建造物等以外」として110条1項の客体に該当する。
(2) 焼損
ア 放火罪・失火罪が重く処罰されているのは、火が容易に燃え広がる性質を持ち、公共の危険を生じやすいからである。よって、「焼損した」(116条2項)とは、毀棄罪における損壊等にとどまらず、火が媒介物を離れて独立に燃焼を継続しうる状態に達したことをいうと解する。
イ 本件では、洞道壁面が225メートルも燃え広がっており、独立に燃焼していたと認められるから、建造物等以外の物たる洞道壁面を「焼損した」といえる。
(3) 公共の危険
ア 建造物等以外に対する失火が可罰的となるには、「公共の危険を生じさせた」ことが必要である(117条の2、116条2項)から、「公共の危険」の意義が問題となる。
イ 放火罪・失火罪が特に重く処罰されているのは、木造建築物の多い我が国において建造物火災は延焼によって容易に拡大し、生命・身体・財産に対する多大な危険が生じやすいからである。したがって、「公共の危険」についても、108条・109条1項の建造物等に対する延焼の危険と解するのが原則である。
ウ しかし、延焼による拡大は建造物以外を介しても生じうるし、火はその性質上、不燃性の物であってもそれを高温に熱したり、煙や有毒ガス等を発生させることで、延焼を伴わずに生命・身体・財産に対する侵害を拡大させる危険が大きい。そうだとすれば、「公共の危険」について建造物等への延焼の危険に限定すべきではなく、不特定又は多数の人の生命・身体・建造物等以外の財産に対する危険も含まれると解する。
(4) 本件では、大量の煙によって多数の人が避難を余儀なくされるなど、多数の人の生命・身体への危険が生じている。よって、「公共の危険」は生じたといえる。
3 過失の共同正犯の肯否
(1) 本件では、甲と乙が各1個ずつトーチランプを使用し、そのいずれかが出火の原因であることは判明しているが、実際にいずれが原因となったかは明らかでない。そうすると、甲らのいずれの行為が火災に至る因果の起点となったか確定できず、行為と結果との因果関係を肯定できないから、甲らは単独犯としてはせいぜい過失犯の未遂犯となり、不可罰である。このように、既遂結果の発生にもかかわらず既遂犯の罪責を負う者がいなくなることは、法感情に反し妥当でない。そこで、因果の起点がいずれの行為であっても既遂犯として帰責するため、甲らに共同正犯が成立しないか検討する必要があるが、過失の共同正犯が成立しうるのか問題となるため、以下検討する。
(2) この点、共犯の処罰根拠は、他人の行為を介して法益侵害結果を惹起する点にある。確かに、過失犯では、故意犯のように意思を連絡して犯罪を共同実行するということは考えられないが、客観的には結果発生の危険のある行為について、結果発生の認識なく共同実行するということは十分ありうる。そうだとすれば、過失犯であっても、かかる危険な行為を共同実行したことについては物理的因果性が認められる。また、当該行為の実行につき意思連絡があれば、互いへの信頼から過失を助長・強化し合うという心理的因果性も認められる。よって、互いの過失行為を介して結果惹起に因果性を及ぼしうるから、過失の共同正犯も肯定されうる。
(3) もっとも、過失の共同正犯を認めると処罰範囲を不当に拡大するおそれがあるから、その成立は、他の行為者の過失行為による結果発生を自己の過失行為によるものと同視しうるような場合に限定すべきであると解する。すなわち、共同者が、同一の結果防止のために重畳的に共通の注意義務を負担しており、各自が自己の注意義務さえ尽くしていれば必然的に他の行為者の過失による結果発生をも防止しえた、というような場合であることが必要である。
(4) 一方、他の共同者の行為についても注意を払わなければならないという相互監視義務がある場合については、他の共同者の行為について注意をしなかったということ自体から過失を認めうるので、過失同時犯として処罰すれば足り、かかる場合には過失の共同正犯を認める必要はない。
4 本件での共同正犯の成否
(1) 過失行為の共同実行の有無
甲らは、洞道内におけるトーチランプを使用した作業という火災の危険のある行為を共同で行っており、当該行為を行うことについては意思連絡があるから、各自が火災結果につき因果性を有しているといえる。
(2) 共通の注意義務の有無
ア 甲は、本件作業における現場主任であったことから、甲には作業員全員の行為に気を配り、危険な行為があればこれを是正して災害を防止すべき立場にあったと解すべきである。そして、洞道内での火災が極めて危険であることに鑑みれば、甲には、退出時に全てのトーチランプについて消火を確認する義務があったと認められる。
イ 乙は単なる現場作業員であるが、本件作業は見習作業員の丙を含めたわずか3人のみで行われ、甲は丙に対する個別指導も行なうなど現場主任としての本来の職務に専念できない状態でもあった。そうだとすれば、甲と乙は実質的には対等に近い立場にあったものと考えられ、乙についても、甲と同様、退出時に全てのトーチランプについて消火を確認する義務があったと認められる。
ウ 丙については、見習作業員であって、現場の作業についても指導を受けながら行っていたものであるから、安全確認についても甲乙に従ってこれを行う義務があったとしか認められない。
エ 以上より、甲乙には、それぞれ全てのトーチランプに対して消火確認をする義務があったと認められ、甲乙各自が自己の義務を尽くしさえすれば、必然的に他方の消火確認懈怠による結果をも防止しえたといえる。一方、丙にはかかる関係は認められない。よって、甲乙は共同正犯として互いの行為による結果発生についても帰責され、丙にはかかる関係が認められない。
(3) 具体的な過失の有無
ア 過失の共同正犯が成立するためには、更に各行為者における具体的な過失の有無を検討する必要がある。なぜなら、他の者の行為について共同正犯として帰責されうるとしても、共同行為からの結果発生にすら予見可能性及び結果回避可能性がないのであれば、結果を予見しえたのにこれを怠ったという責任非難はできないからである。
イ 本件では、「洞道外に退出するにあたり、…火災が発生する危険があり、これを十分に予見することができた」とされており、甲乙いずれについても、共同で退出した行為から結果が発生することの予見可能性はあったと認められる。
ウ また、トーチランプの確認及び消火は容易にできるので、結果回避可能性も認められる。
(4)  よって、甲乙には業務上失火罪の共同正犯が成立し、丙は罪責を負わない。

以上


刑法事例演習教材 刑法事例演習教材 第2版

刑法事例演習教材10「偽装事故の悲劇」

受験生時代に作成した、刑法事例演習教材(初版)設問の回答例。

第1甲の罪責について
1 Aに対する罪
(1) 甲は、Aに軽い傷害を負わせる意図で自己の運転する自動車を後ろからAの自動車に追突させてAに頸椎捻挫の傷害を負わせ、結果としてAは死亡しているから、Aに対する傷害致死罪(205条)が成立しないか。
(2) 傷害罪の構成要件該当性
ア 傷害致死罪は傷害罪(204条)の結果的加重犯であるから、まずは基本犯たる傷害罪の構成要件該当性が問題となる。
イ 傷害罪における「傷害」とは、身体の生理的機能の障害又は健康状態の不良な変更を意味すると解されるところ、甲は自己の運転する自動車をAの自動車に追突させ、その衝撃でAに頸椎捻挫という身体の生理的機能の障害を生ぜしめているから、かかる行為は傷害罪の構成要件に該当する。
(3) より重い傷害及び死亡結果との因果関係
ア 追突行為が傷害罪の構成要件に該当するとしても、当該行為は、Aと乙との衝突事故という介在事情によって生じた傷害結果及び死亡結果についてまで因果関係を有するか。
イ 因果関係とは、客観的に見て結果が行為に帰属するかという問題であるから、因果関係の存否は、条件関係を前提として、実行行為の有する危険が現実化したといえるか否かによって決すべきである。
ウ そして、介在事情が存在する場合には、当該介在事情が、実行行為によって設定された因果経過の範囲で生じたにとどまるといえる必要があるから、①実行行為の危険性、②介在事情の結果に対する寄与度、③介在事情の異常性を総合考慮して判断する。
エ 乙による衝突との関係
(a) 乙による衝突がなければAには頸椎捻挫しか生じず、死亡の結果も生じなかったであろうから、条件関係は認められる。
(b) 自動車の追突はそれ自体運転者に大きな衝撃を与える危険なものであるうえ、交通量の多い市中心部の交差点で赤信号停車中に追突すれば、車両が行き交う交差点内に押し出され、更なる事故を誘発する可能性が高いから、その危険性は極めて高い。
(c) 一方、Aの死因は乙との衝突事故で右後頸部に負った血管損傷等の傷害であるから、乙による衝突はAの死亡結果に対し寄与度が大きいといえる。
(d) しかし、そもそも乙とAとの衝突事故は、甲の追突行為によってAの自動車が交差点上に押し出されたことを大きな原因として生じたものであり、甲の追突行為に誘発されたものといえる。よって、乙とAとの衝突事故は、乙の前方不注意の有無にかかわらず、甲による追突行為と強い関連をもって発生したものであって、異常なものとはいえない。
(e) したがって、乙による衝突は甲の実行行為の危険の現実化を阻害するものとは認められない。
オ Aが病院で暴れたこととの関係
(a) Aは手術成功により一旦容体が安定し、加療3週間との判断がなされるほどに回復しており、Aが病院で暴れ安静にしなかったことが死亡の直接の原因となった可能性もある。
(b) しかし、Aの死因は上記衝突事故による傷害に基づく脳機能障害であって、Aの行為は治療効果を減殺した可能性があるにとどまるから、結果に対する寄与度が大きいとまではいえない。
(c) また、医学的に素人である患者は自己の状態を正確に認識できない場合が多いから、早く退院しようと無理な行動をとろうとすることも経験則上稀有とはいえず、Aの行為が異常なものとも解されない。
(d) したがって、Aの行為は、甲の実行行為の危険の現実化を阻害するものとは認められない。
カ 以上より、介在事情を考慮してもなおAの死亡結果は甲の実行行為の危険が現実化したものといえるから、因果関係が認められる。
(4) 同意の存在について
ア Aは、保険金の詐取を目的として、甲による自己への傷害について同意していたから、同意によって甲の行為は違法性が阻却されないか。
イ 個人的法益は、法益主体が自己決定権に基づいて自由に処分可能であると解すべきところ、処分された法益は要保護性を失うため、同意に基づく法益侵害は違法性が阻却される。そして、以上のように同意を法益処分として解する以上、法益主体が処分法益の内容を認識しており、かつ自由な意思決定の下になされていれば、同意は有効に成立し、目的の社会的相当性など処分法益に関係しない要素によっては同意は無効とならない。
ウ 本件では、Aは傷害結果を認識し、同意を強制されたわけでもないから、たとえそれが保険金詐取という違法な目的に基づくものであっても、Aの同意自体は有効である。しかし、かかる同意は保険金詐取に必要な程度の軽傷についてなされたものであって、右後頸部血管損傷という重傷や死亡結果については、侵害法益の程度・内容を全く異にすることから、これらの結果についてまで同意があったとは認められない。
エ よって、Aの同意により違法性は阻却されない。
(5) 故意
ア 甲はAに対し軽傷を負わせる意図しかなく、同意の範囲内の傷害結果しか認識・予見していなかったのであるから、錯誤により故意が阻却されないか。
イ 故意とは犯罪事実の認識であるところ、違法性阻却事由を基礎づける事実の存在を誤信している場合には、違法性を基礎づける事実の認識があるとはいえず、犯罪事実の認識を欠くから、故意が阻却される。
ウ よって、同意傷害罪の規定が無い以上、Aに同意があること、自己の行為が頸椎捻挫というAの同意の範囲にとどまるものであることを誤信していた甲は、錯誤により故意が阻却される。
エ 以上より、甲には傷害罪(204条)の故意が認められないから、傷害罪が成立せず、その結果的加重犯たる傷害致死罪も成立しない。
(6) 自動車運転過失致死罪の成否
ア もっとも、同意の範囲を超えた結果につき過失が認められれば過失犯として処罰すべきであり、自動車運転上の過失により死の結果を生じている本件では、自動車運転過失致死罪(211条2項)が成立しないか。
イ 過失とは故意と並ぶ責任要素であり、その本質は、精神を緊張させていれば結果を認識・予見しえたにもかかわらず、これを怠ったことに対する責任非難である。従って、過失とは、予見可能性を前提とした予見義務であると解される。そして、責任主義の観点から、予見可能性は抽象的なものでは足りず、特定の構成要件結果に対する具体的な予見可能性を要する。
ウ 本件では、前述のように市中心部の交差点であれば車通りも多く、赤信号で停車中の自動車に追突して交差点内に押し出せば、走行中の左右の自動車が衝突するであろうこと、走行中の車両に横から衝突されれば被害は甚大となることは経験則上明らかであり、同意の範囲を超える重傷が生じることは容易に予見できたといえる。
エ よって、甲には同意の範囲を超えた結果につき過失があり、前述のとおり死の結果に対しても因果関係が認められるから、甲には自動車運転過失致死罪が成立する。
2 乙に対する罪
(1) 甲は、Aに追突しAの自動車を交差点上に押し出したことにより、乙の自動車と衝突させ、乙に肋骨骨折等の傷害を負わせているから、乙に対する傷害罪(204条)が成立しないか。
(2) 「傷害」
 傷害罪における「傷害」とは身体の生理的機能の障害をいうところ、甲は、上記のように、乙に肋骨骨折という生理的機能の障害を負わせているから、甲は乙を「傷害」したといえる。
(3) 因果関係
 前述のように、かかる衝突事故による傷害結果は追突行為と因果関係が認められ、当該衝突事故により生じた傷害結果である以上、それが追突された自動車の運転者に生じたか衝突してきた自動車の運転者に生じたかで結論を異にする理由はないから、甲の追突行為と乙の傷害結果の間にも因果関係が認められる。
(4) 故意
ア 甲には、Aに傷害を負わせる意思はあったが、乙に傷害を負わせる意思はなかったのであるから、故意が認められないのではないか。
イ 故意とは構成要件該当事実の認識である。そして構成要件該当性は被侵害法益主体ごとに判断すべきであるから、たとえ条文上は「人」のように抽象的に定められているとしても、法益主体の個別性を無視して故意の有無を判断することはできない。
ウ よって、乙に対する傷害結果の認識が無い以上甲には乙に対する傷害の故意が認められず、傷害罪は成立しない。
(5) 自動車運転過失致傷罪の成否
ア もっとも、前述のように、甲の追突行為は衝突事故及びこれによって生じた傷害結果に因果関係があり、かかる結果について過失も認められる。
イ よって、甲には乙に対する自動車運転過失致傷罪が成立する。
第2 乙の罪責について
1 乙は前方不注意のまま自己の運転する自動車を交差点に進入させ、Aの自動車に衝突させているから、Aに対する自動車運転過失致死罪が成立しないか。
2 構成要件該当性
(1) 乙は前方を注視しないまま、Aの車両が停車している交差点に自己の自動車を進入させ、Aの自動車と衝突させており、Aはこの時の傷害結果を悪化させて死亡しているから、「自動車の運転」により「人を死傷させた」といえる。
(2) そして、前方不注意で交差点に進入する行為は事故の危険の大きい行為であって、前述のようにその後のAの行為は因果関係を否定しないから、Aの死亡結果は乙の行為の危険が現実化したものとして、因果関係も認められる。
3 過失
(1) しかし、「必要な注意を怠」る行為すなわち過失が認められるためには、結果の具体的予見可能性を前提とした予見義務が必要であり、また、予見していたとしても結果回避が不可能であれば責任非難はできないから、結果回避可能性があったことも必要である。
(2) わずかな間に相当な距離を移動する自動車の運転においては、前方不注意により前方の自動車と衝突しかねないことは通常知られており、かつ交差点がその危険の特に高い場所であることは、自動車運転者にとって明らかである。
(3) よって、乙にはAの自動車との衝突につき過失が認められる。そして、時速50キロメートルであれば停止距離は20から30メートル程度であるから、かかる距離を切ってからAが飛び出したなどの事情のない本件では、結果回避可能性が認められ、乙には自動車運転過失致傷罪が成立する。

以上


刑法事例演習教材 刑法事例演習教材 第2版