日々起案

田舎で働く弁護士が、考えたことや気になったことを書いています。

刑法事例演習教材10「偽装事故の悲劇」

受験生時代に作成した、刑法事例演習教材(初版)設問の回答例。

第1甲の罪責について
1 Aに対する罪
(1) 甲は、Aに軽い傷害を負わせる意図で自己の運転する自動車を後ろからAの自動車に追突させてAに頸椎捻挫の傷害を負わせ、結果としてAは死亡しているから、Aに対する傷害致死罪(205条)が成立しないか。
(2) 傷害罪の構成要件該当性
ア 傷害致死罪は傷害罪(204条)の結果的加重犯であるから、まずは基本犯たる傷害罪の構成要件該当性が問題となる。
イ 傷害罪における「傷害」とは、身体の生理的機能の障害又は健康状態の不良な変更を意味すると解されるところ、甲は自己の運転する自動車をAの自動車に追突させ、その衝撃でAに頸椎捻挫という身体の生理的機能の障害を生ぜしめているから、かかる行為は傷害罪の構成要件に該当する。
(3) より重い傷害及び死亡結果との因果関係
ア 追突行為が傷害罪の構成要件に該当するとしても、当該行為は、Aと乙との衝突事故という介在事情によって生じた傷害結果及び死亡結果についてまで因果関係を有するか。
イ 因果関係とは、客観的に見て結果が行為に帰属するかという問題であるから、因果関係の存否は、条件関係を前提として、実行行為の有する危険が現実化したといえるか否かによって決すべきである。
ウ そして、介在事情が存在する場合には、当該介在事情が、実行行為によって設定された因果経過の範囲で生じたにとどまるといえる必要があるから、①実行行為の危険性、②介在事情の結果に対する寄与度、③介在事情の異常性を総合考慮して判断する。
エ 乙による衝突との関係
(a) 乙による衝突がなければAには頸椎捻挫しか生じず、死亡の結果も生じなかったであろうから、条件関係は認められる。
(b) 自動車の追突はそれ自体運転者に大きな衝撃を与える危険なものであるうえ、交通量の多い市中心部の交差点で赤信号停車中に追突すれば、車両が行き交う交差点内に押し出され、更なる事故を誘発する可能性が高いから、その危険性は極めて高い。
(c) 一方、Aの死因は乙との衝突事故で右後頸部に負った血管損傷等の傷害であるから、乙による衝突はAの死亡結果に対し寄与度が大きいといえる。
(d) しかし、そもそも乙とAとの衝突事故は、甲の追突行為によってAの自動車が交差点上に押し出されたことを大きな原因として生じたものであり、甲の追突行為に誘発されたものといえる。よって、乙とAとの衝突事故は、乙の前方不注意の有無にかかわらず、甲による追突行為と強い関連をもって発生したものであって、異常なものとはいえない。
(e) したがって、乙による衝突は甲の実行行為の危険の現実化を阻害するものとは認められない。
オ Aが病院で暴れたこととの関係
(a) Aは手術成功により一旦容体が安定し、加療3週間との判断がなされるほどに回復しており、Aが病院で暴れ安静にしなかったことが死亡の直接の原因となった可能性もある。
(b) しかし、Aの死因は上記衝突事故による傷害に基づく脳機能障害であって、Aの行為は治療効果を減殺した可能性があるにとどまるから、結果に対する寄与度が大きいとまではいえない。
(c) また、医学的に素人である患者は自己の状態を正確に認識できない場合が多いから、早く退院しようと無理な行動をとろうとすることも経験則上稀有とはいえず、Aの行為が異常なものとも解されない。
(d) したがって、Aの行為は、甲の実行行為の危険の現実化を阻害するものとは認められない。
カ 以上より、介在事情を考慮してもなおAの死亡結果は甲の実行行為の危険が現実化したものといえるから、因果関係が認められる。
(4) 同意の存在について
ア Aは、保険金の詐取を目的として、甲による自己への傷害について同意していたから、同意によって甲の行為は違法性が阻却されないか。
イ 個人的法益は、法益主体が自己決定権に基づいて自由に処分可能であると解すべきところ、処分された法益は要保護性を失うため、同意に基づく法益侵害は違法性が阻却される。そして、以上のように同意を法益処分として解する以上、法益主体が処分法益の内容を認識しており、かつ自由な意思決定の下になされていれば、同意は有効に成立し、目的の社会的相当性など処分法益に関係しない要素によっては同意は無効とならない。
ウ 本件では、Aは傷害結果を認識し、同意を強制されたわけでもないから、たとえそれが保険金詐取という違法な目的に基づくものであっても、Aの同意自体は有効である。しかし、かかる同意は保険金詐取に必要な程度の軽傷についてなされたものであって、右後頸部血管損傷という重傷や死亡結果については、侵害法益の程度・内容を全く異にすることから、これらの結果についてまで同意があったとは認められない。
エ よって、Aの同意により違法性は阻却されない。
(5) 故意
ア 甲はAに対し軽傷を負わせる意図しかなく、同意の範囲内の傷害結果しか認識・予見していなかったのであるから、錯誤により故意が阻却されないか。
イ 故意とは犯罪事実の認識であるところ、違法性阻却事由を基礎づける事実の存在を誤信している場合には、違法性を基礎づける事実の認識があるとはいえず、犯罪事実の認識を欠くから、故意が阻却される。
ウ よって、同意傷害罪の規定が無い以上、Aに同意があること、自己の行為が頸椎捻挫というAの同意の範囲にとどまるものであることを誤信していた甲は、錯誤により故意が阻却される。
エ 以上より、甲には傷害罪(204条)の故意が認められないから、傷害罪が成立せず、その結果的加重犯たる傷害致死罪も成立しない。
(6) 自動車運転過失致死罪の成否
ア もっとも、同意の範囲を超えた結果につき過失が認められれば過失犯として処罰すべきであり、自動車運転上の過失により死の結果を生じている本件では、自動車運転過失致死罪(211条2項)が成立しないか。
イ 過失とは故意と並ぶ責任要素であり、その本質は、精神を緊張させていれば結果を認識・予見しえたにもかかわらず、これを怠ったことに対する責任非難である。従って、過失とは、予見可能性を前提とした予見義務であると解される。そして、責任主義の観点から、予見可能性は抽象的なものでは足りず、特定の構成要件結果に対する具体的な予見可能性を要する。
ウ 本件では、前述のように市中心部の交差点であれば車通りも多く、赤信号で停車中の自動車に追突して交差点内に押し出せば、走行中の左右の自動車が衝突するであろうこと、走行中の車両に横から衝突されれば被害は甚大となることは経験則上明らかであり、同意の範囲を超える重傷が生じることは容易に予見できたといえる。
エ よって、甲には同意の範囲を超えた結果につき過失があり、前述のとおり死の結果に対しても因果関係が認められるから、甲には自動車運転過失致死罪が成立する。
2 乙に対する罪
(1) 甲は、Aに追突しAの自動車を交差点上に押し出したことにより、乙の自動車と衝突させ、乙に肋骨骨折等の傷害を負わせているから、乙に対する傷害罪(204条)が成立しないか。
(2) 「傷害」
 傷害罪における「傷害」とは身体の生理的機能の障害をいうところ、甲は、上記のように、乙に肋骨骨折という生理的機能の障害を負わせているから、甲は乙を「傷害」したといえる。
(3) 因果関係
 前述のように、かかる衝突事故による傷害結果は追突行為と因果関係が認められ、当該衝突事故により生じた傷害結果である以上、それが追突された自動車の運転者に生じたか衝突してきた自動車の運転者に生じたかで結論を異にする理由はないから、甲の追突行為と乙の傷害結果の間にも因果関係が認められる。
(4) 故意
ア 甲には、Aに傷害を負わせる意思はあったが、乙に傷害を負わせる意思はなかったのであるから、故意が認められないのではないか。
イ 故意とは構成要件該当事実の認識である。そして構成要件該当性は被侵害法益主体ごとに判断すべきであるから、たとえ条文上は「人」のように抽象的に定められているとしても、法益主体の個別性を無視して故意の有無を判断することはできない。
ウ よって、乙に対する傷害結果の認識が無い以上甲には乙に対する傷害の故意が認められず、傷害罪は成立しない。
(5) 自動車運転過失致傷罪の成否
ア もっとも、前述のように、甲の追突行為は衝突事故及びこれによって生じた傷害結果に因果関係があり、かかる結果について過失も認められる。
イ よって、甲には乙に対する自動車運転過失致傷罪が成立する。
第2 乙の罪責について
1 乙は前方不注意のまま自己の運転する自動車を交差点に進入させ、Aの自動車に衝突させているから、Aに対する自動車運転過失致死罪が成立しないか。
2 構成要件該当性
(1) 乙は前方を注視しないまま、Aの車両が停車している交差点に自己の自動車を進入させ、Aの自動車と衝突させており、Aはこの時の傷害結果を悪化させて死亡しているから、「自動車の運転」により「人を死傷させた」といえる。
(2) そして、前方不注意で交差点に進入する行為は事故の危険の大きい行為であって、前述のようにその後のAの行為は因果関係を否定しないから、Aの死亡結果は乙の行為の危険が現実化したものとして、因果関係も認められる。
3 過失
(1) しかし、「必要な注意を怠」る行為すなわち過失が認められるためには、結果の具体的予見可能性を前提とした予見義務が必要であり、また、予見していたとしても結果回避が不可能であれば責任非難はできないから、結果回避可能性があったことも必要である。
(2) わずかな間に相当な距離を移動する自動車の運転においては、前方不注意により前方の自動車と衝突しかねないことは通常知られており、かつ交差点がその危険の特に高い場所であることは、自動車運転者にとって明らかである。
(3) よって、乙にはAの自動車との衝突につき過失が認められる。そして、時速50キロメートルであれば停止距離は20から30メートル程度であるから、かかる距離を切ってからAが飛び出したなどの事情のない本件では、結果回避可能性が認められ、乙には自動車運転過失致傷罪が成立する。

以上


刑法事例演習教材 刑法事例演習教材 第2版