日々起案

田舎で働く弁護士が、考えたことや気になったことを書いています。

性犯罪の暴行脅迫要件の話

論点は2つ

暴行脅迫の要件を問題視する場合、以下の2つの論点があります。

  1. 暴行脅迫を要件とすること自体の問題
  2. 暴行脅迫の程度の問題

分かりにくいかもしれませんが、これらは全く異なる問題であり、どちらの話をしているのか明確にしないと、およそ議論になりません。Twitterでは、140文字という制限でぶつ切りにされてしまうため、しばしば論点が交錯しているように思われます。

暴行脅迫要件の存在自体について

なぜこんな要件があるのか?

強制性交等罪を含む性犯罪の保護法益(刑罰によって保護しようとしている利益)は、「人の性的自由」と考えられています。つまり、「意思に反する性的行為を罰する」という趣旨で刑罰が定められています。

しかし、それならば、同意のない場合は全て処罰の対象となるはずであり、「暴行又は脅迫を用いて」という手段の限定は不要ではないか、という疑問が生じます。

その答えは、端的に言うと、「同意の有無は第三者には判断しにくいから」ということになります。処罰対象を明確にするためには、客観的な事情を要件とすべきであるという考え方です。13歳未満の者への性的行為は暴行脅迫を用いなくても犯罪となりますが、これも、本人の意思に反するかどうかではなく、年齢という客観的事情で処罰範囲を明確化している例です。

日本の刑法を含むドイツ語法圏では、このような考え方が一般的である一方、英米法では、意思に反する性的行為をそれ自体処罰の対象とする立場もあります。

処罰を妨げているか?

暴行脅迫要件があると、「意思に反した性的行為なのに処罰されない」ということが起こり得るのではないか、というのが、よく見られる議論です。

この点については、以下のような評価がなされており、実際非常に緩く解されているので、一般的な類型においては、この要件によって処罰が妨げられるおそれは少ないと思われます。

「暴行・脅迫それ自体の手段としての限定性は大きく失われており、被害者が抵抗することが著しく困難な状況にあるか否か、あるいは、被害者が性的行為に応じざるを得ない状況にあるか否かが実質的な判断枠組みになっている。」(法学教室427号38頁)

ただし、暴行脅迫があるとは到底言えない場合でも、特殊な環境や関係性から自己決定権を奪われる場合もあります。これを手当てするために監護者性交等罪が新設されましたが、それ以外に処罰すべき場合がないかどうかは、常に検討が必要でしょう。

暴行脅迫要件を廃止してはいけないのか?

暴行脅迫要件の廃止については両論あり、制度的にはいずれもあり得ます。しかし、日本で暴行脅迫要件を廃止しようと思えば問題も生じるため、拙速に廃止すべきではありません。

問題1:要件の明確性

第1に、処罰範囲の明確性が問題となります。不同意認定の判断基準を暴行脅迫に限る必然性はないと思いますが、「諸事情から判断する」というだけでは、条文上は「性的行為は処罰する」となっているのと同じになってしまいます。

たとえば、「疲れていてセックスしたくないのに妻から求められてやむを得ず応じた」という場合に、妻に強制性交等罪が成立するのかしないのか。成立しないとしたら何故か。その区別基準を明確にしないと、夫婦は毎夜セックス同意書を相互に作成・保管し合うことになります。

既に不同意のみを要件としている国・地域でも、証拠と推定の規定など、訴訟法的な要素も含めてかなり詳細な規定を置いていたり(イギリス法)、「被害者の態度を表す文言は用いられず、徹底して行為の客観的要素に注目した類型化が行われ」ている(ミシガン州法)ようです*1。日本でも、何らかの形での要件の明確化を行う必要があるでしょう。

なお、明確な客観基準を廃止すれば、不同意の判断は難しくなります。となれば、裁判では、より微妙な事実認定となるので、おそらく無罪率は高くなるでしょう。無罪率が高まること自体は何ら悪いことではありませんが、暴行脅迫要件廃止論者の一部にとっては、不愉快な結果かもしれません。

問題2:人質司法

第2に、逮捕勾留が簡単に行われてしまう実務を変える必要があります。現状日本は、「人質司法」と揶揄されるほど簡単に(不必要に)身柄拘束されてしまっています。当人からすれば、その社会的ダメージは甚大です。この状況を変えずに安易に暴行脅迫要件を廃止すれば、魔女狩りの世界になってしまうおそれがあります。

暴行脅迫の程度について

なぜ「反抗を著しく困難にする程度」が必要なのか?

性犯罪における暴行脅迫は、「相手の反抗を著しく困難にする程度」の強度が必要と解釈されています。元々、性犯罪の暴行脅迫の程度については、以下のように見解が分かれていました*2

  1. 強盗罪と同様に「反抗を抑圧する(抵抗不能にする)程度」を必要とする説
  2. 現在の解釈と同じく「反抗を著しく困難にする程度」で良いとする説
  3. 強要罪と同程度で足りるとする説

昭和24年5月10日の最高裁判決は、1説を前提とした弁護人の主張に対して、2説を採用することを明らかにしました。厳しい要件を課したというよりは、より緩やかに解釈して良いと示したことになります。

では、そもそも何故こうした「程度論」が出てくるのかと言えば、「不同意であることを客観的に判断するため」と考えられます。

人の内心が目に見えない以上、同意があるかどうかは、客観的事情から判断せざるを得ません。その「事情」が暴行脅迫要件であることは既に述べました。しかし、人によって意思決定の強さは様々なので、「普通の人は意思決定の自由が奪われる」と言えるような「程度」の暴行脅迫に限る必要があるのです。

実際の判断方法

この「程度論」は、実際の判断では以下のように解されています。

「その暴行または脅迫の行為は、単にそれのみを取り上げて観察すれば右の程度には達しないと認められるような者であっても、その相手方の年齢、性別、素行、経歴等やそれがなされた時間、場所の四囲の環境その他具体的事情の如何とあいまって相手方の抗拒を不能にし又はこれを著しく困難ならしめるものであれば足りる」(最判昭和33年6月6日・刑集23巻8号1068頁)

こうした解釈から、「手をつなぐ」「覆いかぶさる」という、性行為に通常伴うような行為についても、強姦罪(当時)の暴行を肯定したものもあるようです*3

そうなってくると、要は「相手方が抵抗困難だったか」の総合判断でしかなく、暴行脅迫自体の程度や、被害者の実際の抵抗の有無等は、判断要素の一つに過ぎないということになります。

立場や状況的に、「抵抗したら何をされるか分からない」と考えることが合理的だと認定できれば、全く無抵抗でも暴行脅迫要件は充足できるので、監護者の影響力などの非典型事例を除けば、さほど処罰の妨げにはならないのではないかと思われます。

「著しく」は必要か?

強盗罪と恐喝罪の違いは、暴行脅迫の程度の差と解されています。性犯罪についても、同様に「著しくではないが抵抗困難」な場合を処罰すべきとの考え方は、個人的には十分あり得ると考えます。

ただ、法定刑が「5年以上の懲役」という重罪である強制性交等罪について、単純に程度論の緩和をすることは、罪刑均衡を害し妥当ではありません。立法論としては、強盗罪に対する恐喝罪のような別罪を用意するか、強制性交等罪の法定刑の下限を引き下げることになるでしょう。

暴行脅迫要件の存否との関係

既に述べたように、反抗が著しく困難だったかどうかは、同意の有無を客観的に判断するための要素です。したがって、仮に暴行脅迫要件自体がなくなったとしても、同意の有無を実質的に判断しようと思えば、反抗困難性は判断要素としては残ると思われます。

既に述べたとおり程度の問題はありますが、「拒否できるけどしない」ことが同意を推認させることは、否定しようのない経験則だろうと思います。

まとめ

暴行脅迫要件を廃止することも、暴行脅迫の程度を緩和することも、立法論としては十分検討の余地があります。

しかし、そのためには慎重な調査・検討が不可欠です。現在、解釈で相当柔軟に対処しているので、それを敢えて変える必要まであるかは疑問です。

現行法で処罰から漏れてしまうケースについては、監護者性交等罪のように、それだけを個別に問題とすればよいのではないかと思います。

*1:論究ジュリスト23号 120頁

*2:法学教室427号36頁

*3:法学教室427号37頁