日々起案

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刑法事例演習教材03「ヒモ生活の果てに」

受験生時代に作成した、刑法事例演習教材(初版)設問03の回答例。

甲の罪責
第1 傷害罪(204条)
1 甲はBを殴打し脳内出血等を負わせているため、傷害罪が成立しないか。
2 構成要件該当性
 「傷害」とは、不法な有形力の行使等により人の生理的機能に不良な変更を加えることをいう。
 平成20年12月20日午後11時15分ころ、甲はBの左頬を平手で1回殴打した後、Bの頭部右側を手拳あるいは裏拳で断続的に5回にわたり殴打した。その結果Bは、硬膜下出血、くも膜下出血等の傷害を負った。
 甲の殴打行為によって、Bの頭部に上記の傷害を負わせているから、Bの生理的機能を害したといえる。したがって、「傷害」に該当する。
3 因果関係
 Bは翌日21日午前3時ころ、上記傷害に伴う脳機能障害により死亡している。死の結果は甲の傷害行為によるものであるから条件関係は認められるが、相当因果関係が認められるか。
(1) 相当因果関係により条件関係を限定することで、偶然的と思われる結果惹起は構成要件的結果から排除されるべきである。なぜなら、そのような結果惹起を処罰の対象としても、類似の結果発生の予防にはつながらないからである。そこで相当性は、構成要件的行為と結果発生の関連性のほか、介在事情がどの程度結果発生に寄与したかを具体的に判断する必要がある。
 したがって、具体的な因果経過を対象とし、構成要件的行為と結果との関連性、介在事情の発生原因、介在事情の予見可能性、結果に対する寄与の程度を考慮して判断する。
(2) これを本件についてみると、甲の殴打行為は硬膜下出血、くも膜下出血の傷害をおわせるもので、脳の損傷を引き起こす程度の強度はそれ自体として死の結果を惹起させる危険な行為である。
 介在事情の発生原因は、甲の故意行為であり、別途の犯意・動機に基づくものである。傷害後に別途生じた殺意は、傷害の時点で予見可能性があるものではない。
 すぐ治療を受けさせていればBの救命は確実だったこと、及び、治療設備の整った総合病院が車で10分程度の場所にあり、実際に治療可能であったことからすると、甲の不作為行為がなければほぼ確実に救命できた。甲にはBを救助する作為義務があるにもかかわらず、殺意をもってあえてBを放置しており、甲の不作為行為がBの生命の行く末を支配していたといえる。したがって、甲の不作為行為が死の結果に強く寄与しているといえる。
(3) 以上を考えると、死の結果は傷害からではなく、介在事情である甲の不作為行為により惹起されたと考えられるから、傷害と死の結果との間に相当因果関係は認められない。
4 故意
 故意とは犯罪事実の認識・予見のことをいう。甲は、上記殴打行為を認識して行っている。傷害は暴行の故意があればよいが、責任主義の観点から加重結果の過失(予見可能性)が必要となる。
たとえ素手であっても、4歳の子どもの頭部を連続して殴打すれば脳内出血等の傷害が発生することは予見可能である。
 したがって、傷害の故意は認められる。
5 結論
 以上により甲には傷害罪が成立する。
第2 殺人罪(199条)
1 甲は意識を失ったBを命が危ないと思いつつ放置して死なせているから、不作為の殺人罪が成立しないか。
 Bに適切な治療を受けさせないまま放置することが不作為の殺人罪の実行行為として評価されるためには、甲に、Bに病院で治療を受けさせる作為義務が認められることが必要である。したがって、作為義務の存否が問題となる。
2 不作為犯における作為義務
(1) 不作為犯は国民の自由の保障と法益保護の必要性の調和から、作為犯と構成要件上同価値と認められる場合、すなわち特定の法益を保護する義務(作為義務)がある場合に限り処罰することができると考える。
(2) そして、作為義務が認められるためには、作為による結果惹起と同価値でなければならないから、すでに発生している因果の流れを自己の掌中に収めること、すなわち、意思に基づき法益に対して排他的支配を有していることが必要となる。
 なぜなら、意思に基づかないで排他的支配を獲得する場合にまで作為義務を認めることは酷な結果となるからである。この場合には、親子関係など社会継続的保護関係の有無などを考慮して作為義務の有無を決する。
(3) 本件についてみると、甲はBの母親であり、Bと同居して自己の監護下に置いている。乙も同居しているものの、10月過ぎにはBの一切の世話をやめていた。
 そして、Bが意識を失った際には乙から病院へ連れて行った方がいいのではと言われたものの「ちょっと気を失っただけ」とか「私に任せておいて」などと乙の関与を阻害している。このように考えると、Bの生命につき排他的支配があるといえる。
 甲の殴打行為によりBに傷害が生じているのであるから、甲は、Bの生命を脆弱化させ、死への危険を創出させた張本人である。したがって、甲自らが因果の起点を設定しているといえ、意思に基づくものであるといえる。
 Bは傷害を受けた時点ですぐに治療を受けさせれば確実に救命できたのであり、且つ、救急車を呼べばすぐに治療が可能な状況にあったのであるから、死の結果を回避することは可能であったといえる。
 以上により、甲にはBを病院で治療を受けさせるという作為義務が認められる。
3 構成要件該当性
 以上のように、甲には、意識を失ったBを病院で治療を受けさせるという作為義務があり、にもかかわらずこれをせずに放置しているから、不作為の殺人罪の構成要件に該当する。
4 故意
 甲は、すぐにBを病院に連れて行って治療を受けさせなければBの命が危ないと思ったが、このままBが死ねば乙との関係もうまくいくと思い、病院へ行くことを拒んでいるため未必の故意が成立しないか。
 未必の故意とは、行為者が、犯罪事実の発生を確定的なものとしては認識していないが、その発生がありえないわけではないものと認識している心理状態をいう。
 故意は、違法な構成要件から生ずる結果発生の認識・予見がありながら、当該結果を生じさせないような行為に至る動機としなかった場合に認められるところ、確定的な認識がなくとも違法性は十分認識できることからすれば、そのような動機はもちうるため、未必の故意も故意と考えることができる。
 甲は、死の結果を予見しつつ、この結果が生ずることを受け入れているから、甲には未必の故意が認められる。
5 結論
 以上により、甲には殺人罪が成立する。

乙の罪責
第1 傷害罪(204条)
1 乙は、Bが甲に殴打されていることを認識しつつこれを放置しているが、この不作為が甲の傷害罪との関係でどのように評価されるか。不作為の共犯が問題となる。
 そこで、まず前提として、乙に作為義務が認められるか検討する。
2 不作為犯における作為義務
(1) 上述のとおり、作為義務が認められるためには、作為による結果惹起と同価値でなければならないから、すでに発生している因果の流れを自己の掌中に収めること、すなわち、意思に基づき法益に対して排他的支配を有していることが必要となる。
 なぜなら、意思に基づかないで排他的支配を獲得する場合にまで作為義務を認めることは酷な結果となるからである。この場合には、親子関係など社会継続的保護関係の有無などを考慮して作為義務の有無を決する。
(2) これを本件についてみると、乙はBと親族関係にはないものの、甲と内縁関係にあり事実上Bを監護する立場にあった。同居については乙が自ら提案し、Bの面倒を見ていた時期もあった。そうすると、排他的支配は認められる。
 そして、乙がBを疎んじる態度を示し、甲は乙に嫌われたくない思いからBに暴力をふるいだした経緯を考えると、乙もまた因果の起点の設定に関与しているといえ、意思に基づくものであるといえる。
 乙が注意をすれば甲はBに対する殴打をやめていたことからすると、作為義務の履行は可能であるといえる。
(3) 以上により、乙に作為義務は認められる。
3 共犯関係
(1) 以上のように、乙には、Bを殴打する甲の殴打行為をとめるという作為義務があり、にもかかわらずこれをせずに放置しているが、この不作為が甲の傷害罪とどのような共犯関係になるか。
(2) この点、傷害罪における不作為犯の共犯は、実行行為者の暴行行為をとめないという点でのみ結果に因果が及ぶにすぎず、法益侵害の具体的内容は、専ら暴行態様に委ねられている。
 したがって、実行行為者と明確な意思連絡がある場合や、具体的な殴打行為に大きく寄与するなど特段の事情がない限り、因果的寄与は少ないといえるから、実行行為者と結果を共同惹起したとまではいえず、幇助(62条1項)が成立しうるにとどまると考える。
(3) これを本件についてみると、乙は、甲とBに対する殴打行為につき明確な意思連絡をしていない。また、具体的な殴打の強度、方法、回数、殴打場所についても何ら関与せず、それらは専ら甲に委ねられていた。そうすると、傷害の結果を共同惹起したというような特段の事情は認められない。
 したがって、乙の不作為は傷害の共同正犯にはあたらない。
(4) それでは幇助犯は成立するか、「幇助した」とは、正犯に援助を与えることで構成要件該当行為、結果の惹起を促進することをいう。すなわち、共犯の因果性は単独犯と異なり、物理的因果性のみならず心理的因果性も含まれるから、必須条件関係までは必要ないと考える。したがって、幇助が認められるためには、正犯行為及び結果に対し、心理的あるいは物理的な因果性があり、その行為が実際に犯意を強化し、結果発生を容易にし得る程度のものであればよいと考える。
 これを本件についてみると、乙が注意をすれば甲はBに対する殴打をやめていたのであり、にもかかわらず注意しないことは、殴打行為を容易にする環境を作出していたといえ、物理的な寄与が認められる。
 したがって、乙の不作為は「幇助した」にあたる。
4 故意
 乙は甲がBに対し断続的に殴打している際、同じ部屋におり、殴打が頭部に向けられていることを認識できた。
 傷害は暴行の故意があればよいが、責任主義の観点から加重結果の過失(予見可能性)が必要となる。大人の殴打行為が子どもの頭部に及べば傷害が発生しうることは、子どもの監護を経験している乙には経験則上明らかであるから、結果発生を予見することができた。
 したがって、傷害の故意は認められる。
5 結論
 死の結果は甲の故意行為が介在するため帰責されない。以上により、乙には傷害罪の幇助犯が成立する。
第2 保護責任者遺棄致死罪(218条1項、219条)
1 乙は、Bを保護する立場にありながら、監護行為を行わず、その結果Bを死なしてしまったから、保護責任者遺棄致死罪が成立しないか。
2 構成要件該当性
(1) Bは傷害を負っており「病者」にあたる。
(2)ア 「保護する責任のある者」とは、要扶助者に生じうる危険の不発生を日々配慮しなければならない者であるから、一回的な作為義務とは異なる、継続的な保護関係に基づく、またはこれに準ずる作為義務がなければならない。その判断は、すでに発生している因果の流れを自己の掌中に収めること、すなわち、法益に対して排他的支配を有していることが必要となる。
 そして、継続的保護関係がない場合でも意思に基づく行為がある場合には保護を期待されるべき者であるといえるから作為義務を肯定することができると考える。
イ 乙はBと親族関係にはないものの、甲と内縁関係にあり事実上Bを監護する立場にあった。同居については乙が自ら提案し、Bの面倒を見ていた時期もあった。この事実から、乙はBの事実上の父としての役割を負担しているといえるから、母たる甲と共に排他的支配があるといえる。そして、甲が「Bは・・・大丈夫」などと言って病院へ搬送することを拒否しているのであるから、生命の危険からBを救助できる者は乙しかいなかった。したがって、乙に排他的支配が認められる。
ウ 乙は、甲のBに対する傷害創出を幇助した者であり、因果の起点の設定に関与しているといえ、意思に基づくものであるといえる。
エ Bは傷害を受けた時点ですぐに治療を受けさせれば確実に救命できたのであり、且つ、車で搬送すればすぐに治療が可能な状況にあったのであるから、死の結果を回避することは可能であったといえる。
オ そうすると、乙は、Bの事実上の父として継続的に監護する立場にありながら、自己の傷害罪の幇助行為によって傷害を負わせ、より一層結果回避に向けた努力を尽くことが求められているといえる。
 以上により、乙は「保護する責任のある者」にあたる。
(3) 乙は、病院で治療させるという保護行為をせず、その結果Bは死亡した。
(4) Bは傷害を受けた時点ですぐに治療を受けさせれば確実に救命できたのであるから、死の結果を回避することが可能であり、したがって死との因果関係も認められる。
(5) 乙の行為は保護責任者遺棄致死罪の構成要件にあたる。
3 故意
 乙はBをすぐに病院へ連れて行った方がいいのではないかと甲に言っており、Bが病院へ連れて行く必要のある状態であることの認識があった。にもかかわらずこれをせずに放置したため保護責任者遺棄罪の故意は認められる。
 保護責任者遺棄致死罪は保護責任者遺棄罪の故意があればよいが、責任主義の観点から加重結果の過失(予見可能性)が必要となる。
 乙は、Bを見て死ぬほどの状態ではないだろうと思っているが、わずか4歳のBが頭部を殴打されて気絶しているのであれば、通常は生命の危険を察知すべきである。したがって、死なないと軽信した乙には過失(予見可能性)が認められる。
4 結論
 したがって、乙には保護責任者遺棄致死罪が成立する。
5 共犯関係
 共犯関係は各人が他人の行為を介して自らの犯罪を実現し、行為に客観的な共同関係があれば足り、罪名まで同一に処理する必要は無い。
 なぜなら、共犯とは、複数の者が行為を分担、共同して、各自の犯罪を実現する場合であるから、共同者の故意に対応して、法益侵害が惹起された範囲内において、それぞれの犯罪が成立するのである。
 したがって、乙の保護責任者遺棄致死罪は甲の殺人罪と共同正犯(60条)となる。

罪数
 以上まとめると、甲には傷害罪と殺人罪が成立し、両者は併合罪(45条)となる。
 乙には傷害罪の幇助罪と保護責任者遺棄致死罪が成立し、両者は併合罪(45条)となる。甲の殺人罪と乙の保護責任者遺棄致死罪は共同正犯(60条)となる。

以上


刑法事例演習教材 刑法事例演習教材 第2版