日々起案

田舎で働く弁護士が、考えたことや気になったことを書いています。

ゴミのような弁論を書くつらさ

国選事件をしていると、どう考えても有罪なのに否認(無罪主張)してくる被告人がいます。客観証拠だけでも証明十分、弁解はそれ自体明らかに不合理、おまけに内容がコロコロ変わる、というような感じです。

当然ながら、弁解を裏付ける証拠など一つもなく、無罪主張なので情状弁護もできず、被告人質問も弁解の不合理な点を突かれてフォローしきれず。そういう被告人の無罪主張を弁論で書くとなると、その不合理で裏付け証拠もない弁解をそのままなぞるだけになってしまいます。はっきり言ってゴミのような弁論です。

弁護士としても、そういう弁論は書きたくありません。書きたくはないのですが、書かざるを得ません。それが結構つらい。

明らかに有罪なのであれば、初期段階でしっかり被告人から真実を引き出さなければなりません。明らかに有罪なのに無罪主張をさせるのは、被告人にとっても不利益なわけで、被告人が主張するからと言って無罪主張をそのまま受け入れるのは弁護活動としては良くありません。しかし、そうは言っても否認している被告人を自白させるのは難しいものです。「証拠見る限り間違いなく有罪になるよ」と言っても否認を維持してきたりします。重々承知の上で敢えて無罪主張をしている場合もあります。ある程度誘導・説得しても全く主張が変わらなければ、(時間の問題もあるので)弁解を信じて受け入れるしかなくなります。

ゴミ弁論を書いていると、そんなゴミが人に見られ、記録に残ってしまう恥ずかしさと、被告人をきちんと説得できなかった自分の未熟さが痛感され、かなりストレスが溜まります。

正直、無罪を勝ち取れる弁護士よりも、適切に自白を引き出せる弁護士の方が、すごいなぁと思えます。