日々起案

田舎で働く弁護士が、考えたことや気になったことを書いています。

司法試験の勉強:刑法

「暗記じゃない、事実と評価と当てはめだ!」とよく言われますが、筆記試験なんてものはどんな試験でも多かれ少なかれ暗記が前提です。

特に刑法は、やたらと論点が多く、圧縮して書いていかないと書きたいことが書き切れません。定義や基本論証は暗記して吐き出すのが効率的だし、評価と当てはめに配点が割かれているなら、逆にその前提部分では暗記を吐き出すだけでも良いはずです。

以下、受験生時代に私が自分なりにまとめた定義・論証集です。当てはめで使いやすいように、自分なりにアレンジしたり、時には普段と違う立場も使えるようにするのがポイントですね。

総論

故意

故意とは、犯罪事実の認識・予見のことをいう。

未必の故意

未必の故意とは、行為者が、犯罪事実の発生を確定的なものとしては認識していないが、その発生がありうることを認識している心理状態をいう。

故意の本質は、結果発生を認識・予見しながら反対動機を形成しなかったことに対する責任非難にある。とすれば、確定的な認識がなくとも、結果に至る高度の蓋然性を認識していれば反対動機形成には十分であるから、かかる認識があれば未必の故意を認めてよい。

抽象的事実の錯誤

故意とは構成要件的結果の認識であるから、異なる構成要件間の錯誤は原則として故意を阻却する。

しかし、①保護法益や②行為態様の観点から構成要件に実質的な重なり合いがある場合には、その限度で、一方の構成要件的結果の認識により他方の構成要件的結果も認識していると評価できる。よって、その重なり合う限度で故意を認めてよいと解する。

因果関係

偶然的事情による結果発生まで帰責するのは妥当でないから、因果関係が認められるには、条件関係の存在を前提とした上で、客観的に見て行為の危険性が結果に実現されたといえなければならない。

そして、結果発生に特殊な事情が作用している場合には、①実行行為の危険性、②介在事情の異常性、③結果に対する寄与度を総合考慮して、行為の危険性が結果に実現したといえるのか判断する。

正当防衛

正当防衛とは法益衝突状況を不正な攻撃者の犠牲により解消する制度であるから、かかる状況を自ら招いた者にまでその利益を与えるべきではない。よって、侵害が自招行為に対応する程度を大きく超えるものでない限り、自招侵害に対する反撃行為は正当化されず、違法性は阻却されない。[参照:【最決平成20・5・20】(刑集62巻6号1786頁)]

「急迫不正の侵害」とは、違法な攻撃が現に存するか又は差し迫っていることをいう。

「自己の権利…を防衛するため」とは、客観的に自己の法益の防衛に有効であることをいい、防衛の意思は不要である。なぜなら、正当防衛とは法益衝突状況における侵害者の要保護性欠如を根拠として違法性阻却を認める制度であるところ、防衛の意思がなくとも、客観的な防衛状況さえあれば侵害者は要保護性を欠くからである。

「やむを得ずにした」とは、防衛行為が必要かつ相当であることをいい、ここにいう相当性とは、防衛しようとした利益に対し発生した結果が著しく過剰でないことをいうと解する。なぜなら、正対不正の関係にある以上本来法益の均衡は不要であるが、結果の過剰が著しい場合にはなお功利主義的見地から過剰防衛(36条2項)として可罰性を認めるべきだからである。

「やむを得ずにした」とは、防衛の手段として必要かつ相当であることをいうと解する。なぜなら、正対不正の関係であるから補充性までは不要であるが、過剰防衛(36条2項)にあたらない程度の手段でなければならないからである。

緊急避難

「やむを得ずにした行為」とは、避難行為が他に危難を回避する手段がないこと(補充性)をいう。なぜなら、不正でない第三者に侵害を転嫁することは、唯一の手段としてでなければ正当化しえないからである。

過失

過失とは、精神を緊張させていれば結果を認識・予見しえたにもかかわらずこれを怠ったことへの責任非難である。

よって、予見可能性を前提とした予見義務であると解する。そして、単なる危惧感から過失を肯定することは責任主義に反するから、予見可能性は具体的かつ高度なものでなければならない。

また、予見していても結果を回避できないような場合には結果を帰責すべきでないから、結果回避可能性がなければ過失は否定される。

加重結果

責任主義の観点から、加重結果については過失すなわち具体的な予見可能性が必要であると解する。

結果的加重犯は、基本犯において加重結果の危険を内包するものであるから、基本犯の故意及び加重結果との相当因果関係さえあれば、加重結果への過失は不要である。

不真正不作為犯

法益保護のため不真正不作為犯も処罰しうるが、自由保障の観点から処罰範囲を限定するため、処罰要件として作為義務及び作為の可能性・容易性が必要であると解する。

そして、作為義務が認められるには、不作為が作為による結果惹起と同価値でなければならない。よって、既に発生している因果関係の把握、すなわち法益に対する排他的支配の設定が必要である。意思に基づかずに排他的支配を有するに至った場合でも、法益主体との社会生活上の継続的保護関係がある場合には、これと同視する。

原因において自由な行為

行為と責任の同時存在が要求されるのは、結果について問責しうるのは自由な意思決定に基づいてした行為だけだからである。そして、客観的にみて結果に対する因果関係の起点となる行為が自由な意思決定によってなされているのであれば、これを問責しうると解され、かかる行為が未遂犯(43条)成立における実行の着手と同時期である必要はない。そうだとすれば、原因行為を問責対象とし、結果行為に実行の着手を認めることも、責任主義に反しないと解される。

原因行為が問責対象行為といえるためには、原因行為が客観的に結果を惹起した行為であって、原因行為における意思決定が結果行為にまで貫かれている必要がある。よって、原因行為と結果との間には条件関係を前提とした相当因果関係が要求され、原因行為時に、自己が責任能力の欠如・減弱状態で結果行為に及び、かつこれにより結果が発生するということについて、認識・予見があることが必要である。

共犯

正犯とは自ら結果を惹起した者であるが、他人の行為を介していても、被利用者を通して因果経過を実質的に支配していれば、自ら結果を惹起したのと同視できる。よってかかる場合には間接正犯として処罰してよいと解する。

共犯の処罰根拠は、他人の行為を介して結果に対し因果性を有する点にある。

共犯に及ぼす因果性の中心は共謀による心理的因果性にあるが、物理的因果性のみでも結果発生に寄与しうるから、片面的共犯も認めうる。そして、結果発生に不可欠な行為であれば正犯と同視しうる因果性が認められるから、片面的共同正犯も認めるべきであり、これに至らない程度の行為であれば片面的幇助とすべきである。

各論

公務執行妨害(95)

本罪の保護法益は公務の適正な執行である。よって、「暴行」とは職務を妨害しうる程度の有形力行使をいい、職務を執行すべき公務員に物理的影響が及ぶ限り、間接暴行も含むと解する。

犯人蔵匿(103)

本罪の保護法益は刑事司法作用であり、被疑者の発見逮捕はそれ自体捜査に重要であるから、「隠避」とは、蔵匿以外の方法により官憲による発見逮捕を免れさせる一切の行為をいう。

放火(108~)

現住建造物への放火は人の生命・身体への危険がより大きいことから特に重く処罰している。よって、「住居」とは起臥寝食の場所として日常使用していることをいい、使用者が一時的に外出している場合も含む。また、人身への類型的危険という観点から、建物の一体性については、物理的一体性のみならず、現住部分への延焼可能性や機能的一体性をも考慮すべきである。

放火罪が器物損壊と別に重く処罰されるのは、火が独立して容易に拡大していく性質を有するからである。よって、「焼損」とは、火が媒介物を離れ独立して燃焼を継続しうる状態となることをいうと解する。

放火罪が特に重く処罰されるのは、火が容易に拡大し、直接の放火対象以外の法益をも広く害する危険が大きいからである。よって、「公共の危険」とは、不特定又は多数人の生命・身体・財産への危険を言うものと解する。(非限定説)

110条1項は「よって」という結果的加重犯的規定をしている。また、火はそれ自体上述のような高度の危険を有するから、放火の認識は単なる器物損壊罪よりも重い責任を基礎づけ、「公共の危険」の認識を不要としても責任主義に反しない。よって、「公共の危険」の認識は不要である。

文書偽造(155~)

文書偽造罪の保護法益は文書に対する社会的信用であって、その本質は、当該文書の内容に関する責任追及可能性を担保することにある。

そして、文書の責任追及対象とは、当該文書から把握される意思主体たる名義人であるから、「偽造」とは、名義人と文書作成者との同一性を偽ることであると解される。

事実上の文書作成者が名義人と異なるとしても、作成者が名義人から作成権限を与えられていれば、責任は名義人に帰属し文書の信用性を害しないから、「偽造」には該当しない。しかし、文書の性質上名義人以外の者がこれを作成することが許されない文書についての承諾は無効であり、「偽造」となる。

傷害(204)

「傷害」とは、不法な有形力の行使等により人の生理的機能に不良な変更を加えることをいう。

暴行(208)

暴行罪における「暴行」とは、人の身体に対する有形力の行使をいう。(+身体に対する罪であることから、身体への接触が故意の対象となる。)

遺棄罪(217条~)

219条が致傷結果も処罰していることから、遺棄罪は人の生命だけでなく身体への危険犯でもあると解する。また、具体的危険の認識を要すると傷害罪・殺人罪と区別できなくなるから、抽象的危険犯であると解する。

業務妨害(233、234)

「偽計」とは、人を欺罔し、又は人の無知や錯誤を利用することをいう。

「威力」とは、人の意思を制圧するに足る勢力をいう。

毀損の有無を判断しがたい信用毀損罪との均衡から、本罪は抽象的危険犯と解され、「妨害」の危険があれば、具体的な結果発生は不要である。

窃盗(235)

「窃取」とは,占有者の意思に反し財物の占有を移転することをいう。

本罪の占有とは、物に対する事実的支配関係をいう。

したがって、占有者が物から離れた場合に占有が継続しているかは、客観的に見て、なお占有者の支配力が及んでいるといえるかで判断する。具体的には、物から離れてからの①時間的接着性、②距離的接着性、③事実的支配を推認させる客観的状況等を考慮して判断する。

強盗(236~)

強盗罪における「暴行」とは、人の身体に対する有形力の行使であって、人の犯行を抑圧するに足る程度のものをいう。

横領(252、253)

「業務」とは、社会生活上の地位に基づき反復継続して他人の物を保管・占有する事務をいう。

横領罪における「占有」は、委託に基づく財物の支配をいう。そして、ここにいう支配は濫用のおそれのある支配力を問題とするから、事実上の支配に限らず法律上の支配も含むと解する。

民法上は金銭の所有権はその占有者に帰属する。しかし、預金者は自由に預金を引き出せるのであり、手元に金銭を有するのと同視しうる。よって預金者には預金相当額に対する金額所有権が認められ、これに対する法律上の支配としての「占有」も認められる。口座管理者は委託によりかかる法律上の支配を有しているから、「占有」があるといえる。

横領罪は委託信任関係の破壊を本質とした罪であることから、「横領」とは、委託の任務に背いて所有者でなければできないような処分をする意思、すなわち不法領得の意思を実現する行為であると解する。

金銭の貸付は、所定の手続きに従い本人名義で行われる限り、法的効果が本人に帰属し領得行為が認められないから、横領罪は成立しない。

詐欺(246)

「欺いて」「財物・利得」「交付」「損害」

詐欺罪は、相手に錯誤に基づく処分行為をさせる罪であるから、「欺いて」とは、処分行為の判断の基礎となるような重要な事項を偽る行為をいう。

詐欺罪は、財物の移転が瑕疵があるとはいえ本人の意思に基づいて行われる点に本質があるから、「交付」とは本人の意思に基づく財物の移転をいう。そして、財物への現実的支配が相手方に移転するという客観的事実の認識があれば、本人の意思に基づく占有移転があるといえる。

背任(247)

他人の事務処理者、任務違背、図利加害目的、損害

恐喝(249)

「恐喝」とは、人を畏怖させるにたる暴行・脅迫をいう。